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中国史人物伝

中国医学の基礎を築いた伝説的名医 扁鵲(戦国時代)(2) 六不治

扁鵲(1) はこちら>>

――刀で骨を刺して病を治した(『韓非子』安危)。

と、いわれる扁鵲は、道家の書物である『列子』(湯問)にも登場する。

魯公扈と趙斉嬰が病に罹り、扁鵲の診察を受けた。

「おふたりの病根をとり除いてしんぜよう」

扁鵲はそう申しでて同意を得ると、ふたりに毒酒を飲ませて昏睡させてから、

胸を裂いて心臓を取り替えた。

快癒したふたりは、それぞれ家に帰った。

すると、両家の家人が扁鵲に苦情を申し立ててきた。

魯公扈が趙齊嬰の家に、趙齊嬰が魯公扈の家に帰ってしまったからである。

「公扈どのは意志は固いが気が弱くて、いざというときに決断を下せない。

斉嬰どのは逆に気が強いが意志が弱いので、思慮が足りん。

ふたりの心臓を取り替えれば、ちょうどよいあんばいになろうとおもうてな」

扁鵲がそう説明すると、みな納得したという。

非常におもしろい話ではあるが、真実味に乏しい感がある。それでも、

――扁鵲なら、それくらいたやすくできるんじゃないか。

と、人びとに思わせてしまう不思議な魅力をもった人物なのであろう。

中国史人物伝シリーズ

目次

医師三兄弟

魏の文侯は、戦国時代初期に李克や呉起らを起用して富国強兵を果たした名君である。
その文侯に、扁鵲は召しだされ、
「あなたがた三兄弟のうち、たれの医術がいちばんすぐれているのか」
と、訊かれた。
「長兄がいちばんで、次兄はその次、われはいちばん下でございます」
という扁鵲の応えに、文侯は怪訝そうに、
「もっとくわしく教えてもらえまいか」
と、うながした。
「長兄は、まだ症状があらわれぬうちに、病をとり除いてしまいます。
それゆえ、名が家の外に出ないのでございます。
次兄は、症状があらわれはじめたところで、病を治します。
それゆえ、名が閭(むら)を出ないのでございます。
それにひきかえ、われなんぞは、病が重くなってから、血脈を視て、毒薬を投じ、
肌膚を切開したりなんかしておりますゆえ、名が諸侯に知られているのでございます」
技術や能力が必ずしも世間の評判と一致しないのは、医師だけではあるまい。
評判だけをたよりに専門家を択びがちな人には、耳の痛い話であろう。

六不治

近年、予防医療が注目されているが、病は症状があらわれるまえにとり除いてしまった方がよい。
良医にかかり、早めに治療をすれば、病は癒え、健康なからだを手に入れることができる。
人びとは病気が多いことを心配するが、医者は治療方法が少ないことを心配する。
そう指摘した扁鵲は、
――病に六不治あり(『史記』扁鵲倉公列伝)。
と、述べ、そのうちひとつでも該当すれば、名医でも治すのが難しいといった。
驕恣にして理を論ぜざる(わがままで理にあわないことばかりいう)
身を軽んじ財を重んずる(からだより財物を重んじる)
衣食適すること能わざる(衣食が不適当)
陰陽并さり蔵気の定まらざる(恒常性が崩れてしまい、病巣がどこにあるのかわからない)
形羸して服薬すること能わざる(からだが衰弱し、薬を服用できない)
巫を信じて医を信ぜざる(巫を信じて医者を信じない)
いかな良医といえど、患者に信頼されなければ治療できないのである。

生者を活かす

扁鵲が趙(『說苑』「辨物」による。『史記』では、虢)を通ったとき、王太子が急死した。
扁鵲は王宮の門前へゆき、
「お国で大事があったとうかがいましたが」
と、中庶子(太子の侍臣)にたずねた。
「さよう、太子が突然発作を起こして、お亡くなりになりました」
中庶子がそう応えると、扁鵲は、
「われは鄭の医師秦越人と申します。われなら太子を生き返らせることができます」
と、いった。中庶子は不快げな表情を浮かべながら、
「上古にいた苗父という医者は、菅で席をつくり、芻(わら)で狗をつくり、北面して快気を祈願すると、
十言を発しただけでみな平癒したそうです。あなたの医術もこのようなものなのですか」
と、訊いてきた。
「そんなこと、できません」
「中古にいた兪柎(黄帝の時代の名医)という医者は、脳髄を搦め、肓膜(胸下の膜)を束ね、
九竅(あな)を灼いて経絡(気血の通り道)を定め、死人を生き返らせたとか。
あなたの医術もこのようなものなのですか」
「そんなこと、できません」
中庶子は嘆息し、
「あなたの医術は、細い管で天をみたり、錐で地をみるようなもの。
みるものがやたら大きいのに、わかることは非常に少ない」
と、扁鵲に皮肉を浴びせた。
「そうではございません。
死ぬというのは、暗いうちに蛟の頭のなかに放り出されたり、目を掩って白黒を判別するようなものです。
太子のご病気は、いわゆる尸厥(逆上して死んだようになる病気)です。
間違いだとおもわれるのでしたら、中にはいって太子を診てごらんなさい。
太子の股間はまだ温かく、耳なりがするでしょう」
扁鵲がそう話すと、中庶子はあわてて王宮のなかへ走っていった。
すると、こんどは趙王が跣のまま門の外まで趨りでてきた。
「先生がかたじけなくも遠方からお越しになり、幸いにも寡人にお会いくださり、
太子のことを気にかけてくださいました。いなか者にとりまして、まことに光栄なことでございます。
先生がいらっしゃらなければ、溝にうずまったでございましょう」
そういい終わらないうちに、趙王は涕泣し、襟がぬれてしまった。
扁鵲は王宮にはいり、太子を診察すると、竈の墨を漿水で和して薬剤を調合し、
弟子の子陽に針を砥ぎ、石を磨かせ、つぼに針をさした。
そして、子容に薬をつけさせ、子明に薬を耳に吹きいれさせ、
子儀に神を返させ、子越に形(からだ)を扶けさせ、子游に按摩をさせた。
すると、太子が生き返った。
天下の人びとはみな、これをきいて、
「扁鵲は、死人を生き返らせることができる」
と、いった。それに対し、扁鵲は、
「死人を生き返らせることができるわけじゃない。生きているはずの者を活かしたまでのことじゃ」
と、反駁した。

餅は餅屋

扁鵲が秦の武王に召しだされ、
「これを診てもらいたい」
と、患部を示してきた。
「切除させてください」
扁鵲はそう申しでて、武王の同意を得た。
ところが、ほどなくして、武王に召しだされて、
「やっぱり、やめることにした」
と、告げられた。扁鵲がわけをたずねたところ、
「左右の者に反対されたんじゃ。君の病は、耳の前、目の下にあり、除いても治るとはかぎりません。
失敗すれば、耳がきこえず、目がみえなくなるかもしれません、などと申しおってのう」
という応えが返ってきた。
すると、扁鵲は石鍼を投げすてて、
「玄人に相談していながら、素人に反対されたからといってやめてしまう。
そんな感じで政治をなさるなら、国を滅ぼしてしまいますぞ」
と、怒声を放った。
医療には、政治の要諦に通じるものがあるらしい。

末 路

扁鵲は、各地の習俗にあわせて専門を変えた。
婦人を大事にするところでは婦人科医になり、老人を敬愛する国では老人病の医者になり、
小児を愛する国では小児科医になった。
つまり、需要に適応した結果である。
そうして病める人びとを数多救った扁鵲であるが、おのれの天寿を全うできなかった。
――扁鵲には、とてもかなわん。
と、さとった秦の大医令(侍医の長)李醯がさしむけた刺客に襲われたのである。
名医であるがゆえに招いた悲惨な最期であった。

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