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中国史人物伝

斉の桓公を脅した刺客 曹沫(春秋 魯)曹劌と同一人物か?

春秋時代を代表する名君斉の桓公に匕首を突き付け、領地を割譲させた刺客
曹沫
の活躍に、多大な印象を受けた人は少なくないのではなかろうか。

『史記』刺客列伝に記された曹沫の活躍は、『春秋左氏伝』に記されていない。

だが、『春秋左氏伝』に登場する魯の臣曹劌が、曹沫と同一人物であるという説がある。

そこで、曹沫の活躍を記し、曹劌と同一人物なのか考察する。

中国史人物伝シリーズ

魯の賢人 曹劌

目次

柯の盟い

曹沫は勇力にすぐれ、魯の荘公に気に入られ、将軍に抜擢された。
しかし、斉と三たび戦い、三たび敗れてしまった。
荘公は懼れ、遂邑を献じて斉と和睦しようとし、容れられた。
荘公十三年(紀元前六八一年)冬、魯の荘公は斉の柯を訪ね、斉の桓公と会盟した。
――君に恥をかかせるわけにはゆかぬ。
曹劌は、悲壮な覚悟をいだきつつ、匕首を手に荘公に随った。
両君が壇上で盟約を交わしていると、曹沫は壇上にあがり、桓公に匕首を突きつけた。
「なにを所望か」
桓公からそう訊かれ、曹沫は匕首を突きつけながら、
「強い大国(斉)が、弱小の魯をひどく侵しております。
いま、魯の城壁は壊され、斉との国境が近くまで迫っております。
このことを、よくお考えいただきますよう――」
と、迫ると、桓公は、
「魯から奪い取った地は、すべて返そう」
と、しぶしぶながら表明した。
それをきいて、曹沫は匕首を投げすてて壇上から降り、群臣の席にもどったが、
顔色は変わらず、ことばづかいももとのままであった。
「下郎め――」
桓公は怒り、約束を反故にしようとした。
しかし、かたわらにいた管仲に、
「いけません。
小利を貪って我欲を満たそうとすると、諸侯から信頼されなくなり、天下の援けを失いましょう。
お与えになられるのが、ようございます」
と、諫められたため、おもいとどまった。
曹沫が三戦して失った地は、魯に復したのである。

曹劌=曹沫?

『史記』の曹沫を『春秋左氏伝』の曹劌と同一人物とする説がある。
『春秋左氏伝』や『国語』(魯語上)の曹劇は、冷静沈着な賢人である。
一方、『史記』の曹沫は、勇力の士である。
また、『春秋左氏伝』荘公十三年の柯の盟いについての記事には、曹劇の名は出てこない。
以上からすれば、曹劌と曹沫は別の人物とおもうのが自然であろう。
『春秋左氏伝』が史実性が高いとされるのに対し、
『史記』は史実にかなり脚色を加えたのではないかとおもわせる記事が少なくない。
よって、これらを同列に扱うのは無理があるともいえる。
ところが、春秋三伝のひとつである『春秋穀梁伝』荘公十三年に、
――冬、(荘)公は斉侯と会し、柯で盟った。曹劌の盟なり。
と、記されている。
そこで何があったのかという記載が『春秋穀梁伝』にはないが、
『春秋公羊伝』では柯の盟いにおいて曹子が桓公を脅迫した記載があり、
これらを組み合わせて『史記』と比べれば、曹劌は曹沫と同一人物であるとみなしてもさしつかえなかろう。

曹劇の身分

曹劇を、農民や庶民などとする書物がある。
それだと夢があっておもしろいのであるが、やはり首をかしげざるをえない。
魯は、古礼を尊ぶ保守的な国であった。
それゆえ、君主が無位無官の民を引見するようなことはなかったであろう。
そう想えば、曹劇は少なくとも士(下級貴族)であったのではないか。
大夫(上級貴族)ならともかく、士を君主が引見するというのもなかなか考えにくいが、
国が危急に瀕していれば、あながちあり得ない話でもあるまい。
誤解を恐れずにいえば、曹劇は郷士、すなわち「いなか侍」であったのではなかろうか。
もっといえば、俠士、すなわち游俠の士である。
ここで、ようやく曹劇と刺客がつながるのである。
「刺客はその行為とそれにともなう結果が特殊であるというだけで、本質的には遊俠と同質の存在である」
という説(宮崎市定『史記を語る』)もあり、刺客は俠士と同根といえよう。
士は、困窮すれば、有力者の客になるか、法の外へ逃れるしかなかった。
後者が、游俠である。
この考え方も、曹劌と曹沫が同一人物であることを支持することになるが、いかがであろうか。

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