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中国史人物伝

滑稽の雄 道化から仙人に昇華した”トリックスター” 東方朔(前漢)(1) 射覆

山陰の名湯 三朝温泉の奥に位置する古刹 三徳山三佛寺

その奥院である国宝投入堂は、断崖絶壁に建てられている。

「誰がどうやってあんなところに建てたん?」

と、訪れる人びとの首をかしげさせる投入堂には、

――役行者(役小角)が、法力で堂を投げ入れた。

という伝承がある。

役行者は、五木寛之先生をして

”トリックスター”(テレビ朝日『百寺巡礼』)

といわしめた修験者で、空を飛んだともいわれる。

伝説の多さでいえば、前漢の武帝に仕えた

東方朔(あざなは曼倩)

もひけをとらないのではないか。

かれは、話術に長けたことから滑稽に分類され、

道化の扱いをされるが、あまりにも多才多芸であったがゆえに、

後世の人びとにより、神へと昇華されてしまった。

大言壮語や奇行が多く、射覆(あてもの)を中てたかとおもえば、

武帝の過失を救ったりもした東方朔もまた、

”トリックスター” であったといえよう。

中国史人物伝シリーズ

目次

自 薦

東方朔は、平原郡厭次の出身である。
武帝は即位すると、天下の能者を集めて特別待遇で迎え入れようとした。
すると、自身を売り込む上書が殺到した。
そのうち、採るに足らないものは、還らされた。
東方朔は、そのさなかに上京し、上書した。
「臣は幼少のみぎりに父母を失い、兄夫婦に養われました。十三歳で書を学び、
三冬(貧しいため、冬だけ学問した)で読み書きができるようになりました。十五歳で剣術を学びました。
十六歳で詩書を学び、二十二万字を暗誦いたしました。
十九歳で孫呉の兵法を学び、これまた二十二万字を暗誦いたしました。
臣はすでに四十四万字を暗誦したのです。臣はいま二十二歳で、身の丈九尺三寸(約二一四センチメートル)、
目は珠のように美しく輝き、歯並びは貝をならべたように美しく、勇なること孟賁のごとく、
敏捷なること慶忌のごとく、廉潔なること鮑叔のごとく、信なること尾生のごとくにございます。
かようでございますので、天子の大臣にふさわしいと存じます」
文辞が不遜で、非常に誇大な自薦であったが、武帝の目にとまったらしく、
東方朔は、公車(宮城にある役所)で詔命を待つよう命じられた。
しかし、俸禄が低く、武帝に謁見することができなかった。

尸位素餐

――何とか、主上に謁見をたまわることができないものか。
一計を案じた東方朔は、
「なんじらは国の役に立たず、いたずらに衣食を求めておる。
それゆえ、主上はなんじらをみな殺しにしようとしている」
と、従僕たちをあざむいていった。
従僕たちが大いに恐れて啼泣すると、東方朔は、
「主上がお通りになられたら、叩頭してお詫びするがよい」
と、教えた。
しばらくして、武帝がやってくると、従僕たちはみな号泣して頓首した。
武帝がわけをたずねると、従僕たちは、
「東方朔が、主上が臣らをみな殺そうとなされておいでだと申しておりますが……」
と、応えた。
さっそく東方朔は武帝に召しだされ、
「なにゆえ従僕たちを恐がらせたのか」
と、訊かれた。
「臣は生きてても申しあげますが、死んでも申しあげます。
従僕たちは身長が三尺あまりしかないのに、俸禄が粟一袋と銭二百四十です。
臣は身長が九尺あまりもありながら、俸禄はおなじ粟一袋と銭二百四十です。
従僕たちはたらふく食べて死にそうですが、臣は飢えて死にそうです。
臣の言をお取りあげくださいますなら、どうか待遇をよくしていただけますでしょうか。
お取りあげいただけないのなら、臣を罷免し、長安の米を無駄にしないでください」
これをきいて、武帝は大笑いした。
以後、東方朔は、しだいに武帝に親近されるようになった。

射 覆

守 宮

ある日のこと、武帝が占者たちを召し集め、盂(わん)をみせながら、
「このなかに、なにがはいっているか」
と、たずねた。
射覆(あてもの)をさせたのである。
占者たちは、たれも中てることができなかった。
盂のなかで、器壁をこするような音がした。
――もしや。
脳裡に閃きを得た東方朔は、みずから進みでて、
「臣は、かつて易を学んだことがございます。どうかあてさせてください」
と、願いでた。
「よかろう、やってみよ」
東方朔は蓍(筮竹)をひろげて、八卦をおき、
「龍かなあ、いや、角がない。蛇かなあ、いや、足がある」
と、つぶやいてから、
「這いまわったり壁をよじのぼったりしますから、守宮(やもり)か蜥蜴(とかげ)でしょう」
と、言上した。
盂を開けると、なかから守宮があらわれた。
「みごとじゃ」
東方朔は武帝をうならせ、帛十匹を下賜された。
あてものはさらに続いたが、東方朔はすべて的中させ、そのたびに帛を下賜された。

寠 藪

武帝のかたわらに、倡(俳優)の郭舎人が侍っていた。
かれは、東方朔があまりにも的中しつづけたことを不審がり、
「あれはたまたま中っただけのこと。とても術とは申せません。どうかもう一度朔にあてさせてください。
朔が中てたら、臣は百回打たれましょう。もし中たらなければ、臣に帛を賜わりますよう」
と、願いでた。
「おもしろい」
樹についていたきのこを盂で伏せて、東方朔にあてさせた。
「寠藪です」
東方朔の応えをきいて、
「はたして、朔には中てられないことがわかった」
と、郭舎人が哄笑した。しかし、東方朔は、
「生肉を膾といい、乾肉を脯というように、
樹についていれば寄生(きのこ)といい、盆の下にあれば寠藪というのです」
と、落ち着いて返した。
「勝負あったな」
武帝は倡監(俳優の目付役)に命じ、郭舎人を笞うたせた。
東方朔は常侍郎(宮中に宿直する官)に任じられ、武帝に愛幸されるようになった。

伏 日

その後しばらくして、夏の伏日(暑熱のとき)に詔命があり、従官たちに肉が下賜された。
しかし、従官たちに割り当てる役人が、夕方遅くなってもやってこない。
「このままやったら、日が暮れてまうで」
東方朔は、剣を抜いて肉を割き、
「伏の日ゆえ、はよ帰らなあきまへん。肉は、いただいてまいります」
と、同僚に告げ、肉を懐にいれて帰った。
つぎの日、東方朔が参内すると、
「昨日、肉を賜うたが、詔を待たずに、剣で肉を割いて持ち去ったのは、なにゆえか」
と、武帝に訊かれた。
東方朔は、冠をぬいで詫びた。
「先生、起ってみずからを責めよ」
と、武帝から促され、東方朔は再拝し、
「朔来たれ、朔来たれ。賜を受くるに詔を待たないとは、なんと無礼なことか。
剣を抜いて肉を割くとは、なんと壮なりや。割いた肉が多くないとは、なんと廉潔なことか。
もち帰って細君に贈るとは、なんと仁なりや」
と、いった。
「先生にみずから責めさせたら、かえってみずから誉めおったわい」
武帝は、そういって笑い、
「持って帰って細君に贈るがよい」
と、いい、酒一石(約三十キログラム)と肉百斤(約二十五キログラム)を賜った。

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