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中国史人物伝

乱世に折衝力を発揮した蘇秦の分身?  蘇代(戦国時代)(1) 策士三兄弟

張儀とともに縦横家の代表とされる蘇秦には、蘇代と蘇厲という二人の弟がいた。

『史記』蘇秦列伝にはそう記されているが、

実のところこの三兄弟は、兄弟順も、活躍した時代も不明といってよい。

通説では、紀元前4世紀後半に活躍し、紀元前317年に殺されたとされる蘇秦が、

宋が滅亡した紀元前286年頃にも活躍したという史料もある。

事実であれば、百歳超の長寿である。

だが、おそらく、これは、三人がみな、

「蘇子」

と、よばれていたことから、蘇代や蘇厲の事績が蘇秦のものにされたのであろう。

近年では、蘇秦は蘇代や蘇厲の弟で、紀元前300年前後に活躍したとする説もあり、

この説によれば、従来蘇代が活躍したとされる時期に相当する。

蘇代の伝記を、蘇秦のものとおもってみれば、意外な発見があるかもしれない。

中国史人物伝シリーズ

目次

仕 官

蘇代は周の洛陽の出身で、蘇秦の弟である。
兄が遊説で成功したのをみて、弟の蘇厲とともに遊説の術を学んだ。
蘇秦が死ぬと、蘇代は兄がはじめて仕官した燕へゆき、燕王噲に謁見を求めた。
「臣は、東周の鄙人(いやしい者)です。大王がたいへんご立派な方だとうかがい、
鉏耨(すきとかま)をすてて大王にお仕えしたいとおもい、まいりました。
群臣を拝見しますと、大王は天下の明王でいらっしゃいます」
謁見がかなうと、蘇代はまずそう切りだして、燕王をもちあげた。
「明王とは、なんじゃ」
まんざらでもない表情を浮かべた燕王からそう訊かれ、蘇代は、
「明王はおのれの過ちを聞くことに努め、善いことを聞くのを望まない、と聞いておりますゆえ、
大王の過ちを申しあげます。そもそも、斉と趙は燕の仇讎で、楚と魏は燕の味方です。
それなのに、仇讎に仕えて味方を伐たれるのは、燕の利になりません。
大王におかれましては、どうかこのことをよくお考えいただきますよう」
と、応え、燕の外交の誤謬を指摘した。すると、燕王が、
「斉はもともと寡人(諸侯の一人称)の讎で、伐ちたいとはおもうておる。
じゃが、国力が足らず、戦えば疲弊するのではないか、と心配なんじゃ。
燕が斉を伐てるというなら、寡人は国を挙げてあなたにおまかせしよう」
と、いってきたので、蘇代は、
「天下には大国が七つあり、そのなかで燕は弱いほうです。
単独で戦っても勝てませんが、他国と組めば、その国はかならず天下に重きをなします。
組んだ国が重きをなせば、大王もきっと重んじられましょう。
斉は老君が専制をしており、南は楚と、西は秦と、北は燕と戦い、諸侯を従えようとしております。
これでは斉王の欲望は満たされても、民力は枯渇してしまいます。たいしたことなどございません」
と、応じ、燕王を安心させた。
「斉には清き済水と濁った河水(黄河)があって、国の固めにでき、長城があって、要塞にできるそうじゃが」
燕王は懸念を述べると、蘇代は、
「天の時が斉に味方しなければ、済水や河水があったとしても、どうして国の固めにできましょうか。
民力が疲弊していれば、長城があったとしても、どうして要塞にできましょうか。
いま、斉は兵役で疲弊しきっています。驕れる君主は必ず利を好み、亡国の臣は必ず財を貪るものです。
大王が親族を人質として斉に送り、宝珠や玉帛を贈って斉王の側近の機嫌をお取りなされば、
斉は燕に恩を感じ、宋を滅ぼそうとするでしょう。さすれば、斉を滅ぼすことができましょう」
と、返した。燕王は喜び、
「あなたのおかげで、われはついに天命を受けたんじゃ」
と、いい、燕は王子を斉に人質とし、蘇厲がそれに随って、斉の臣になった。
以後、蘇代は、燕と斉のあいだを往き来するようになった。
蘇代ははじめておのれを認めてくれた燕王に恩を感じ、燕のためにはたらこうと心に決めた。

うそも方便

「寡人は、訑者(うそつき)のいうことが大嫌いじゃ」
あるとき、燕王がそう蘇代にあてつけてきたので、
「周では、媒人を賤しみます。両方をほめるからです。でも、周では、自分で妻をみつけたりしません。
縁談が順調に進んで話がまとまり、途中で破談にならないのは、媒人がいるからです。
物事は臨機応変に対応しなければうまくいきませんし、勢いがなければうまくいきません」
と、蘇代が返したところ、燕王は、
「なるほど」
と、納得した。

子之の乱

蘇代は、燕の宰相である子之と姻戚関係にあった。
――もっと王に重んじられたい。
蘇代は、子之がそう望んでいるのではないかと斟酌し、燕王噲に謁見した。
「斉王は、覇者になれようか」
燕王からそう諮われた蘇代は、
「できません」
と、首を横にふりながら応えた。
「なにゆえか」
「臣下を信用しないからです」
燕王噲は蘇代の意見をきくと、国事をすべて子之にまかせるようになった。
そればかりか、王位まで譲ってしまった。
燕は、おおいに乱れた。
斉はそれに乗じて燕を伐ち、燕王噲と子之を殺してしまった。
蘇代は禍を避けるため、斉へ移った。

泥人形と木の人形

紀元前三〇一年、秦の昭襄王が、弟の涇陽君を斉へ人質に出して、宰相の孟嘗君を招聘してきた。
孟嘗君がこれに応じ、秦へゆこうとすると、
「秦は虎狼の国です。どんな目に遭わされるかわかりませんぞ」
などと引き止める者が続出し、その数なんと千人を超えた。
それでも、孟嘗君は聴かなかった。
――なんとかせねばならん。
そのおもいで蘇代は孟嘗君に面会し、
「さっき淄水のほとりを通っておりましたら、泥人形と木の人形が語りあっておりました」
と、話しかけた(泥人形は涇陽君、木の人形は孟嘗君の譬喩)。
「ほう」
蘇代は、孟嘗君の反応をみてから、譬喩をつづけた。
「あんたはここの土だ。いかにも人らしくできているが、大雨が降って洪水にでもなれば、こわれてしまおう」
と、木の人形が泥人形を挑発すると、泥人形も負けじといい返した。
「そうではない。われはここの土だから、こわれたらここにかえるだけさ。でも、あんたは木の人形だ。
人のかたちをしているが、大雨が降って洪水にでもなれば、どこかへ流れ去ってしまおう」
蘇代はそこまで話してから、
「秦は四塞の国です。譬えれば、虎口のようなものです。
君はそんなところへゆこうとなされておいでですが、いったいどこから出られるおつもりでしょうか」
と、孟嘗君にせまった。
これで孟嘗君は、いったんは考えなおした。
それでも孟嘗君は三年後に秦へ往ったが、はたして蘇代が危惧した通りの展開になるのであった。

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