怜悧さと冷酷さと 乱世の梟雄 崔杼(春秋 斉)(3) 大史の簡
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宰相になった崔杼は、痴情のもつれから荘公を弑し、専横のかぎりをつくした。
内政にも外交にも通じ、幾多の政争をくぐり抜け、敵対者に隙すらみせない。
欠点などなさそうな崔杼に対抗できる者など、もはや斉にはいないのであろうか。
中国史人物伝シリーズ
崔氏の末路
目次
踊 礼
荘公の屍体は崔杼邸内に放置され、たれも近づこうとしなかった。
それなのに、荘公の屍体に近づき、触れた者がいた。
晏嬰である。
かれは荘公の亡骸を股に載せて哭泣し、立ち上がって踊りあがる礼を三たび行った。
「殺しなさい」
ある人が崔杼にそう勧めたが、崔杼は、
「かれには人望がある。放っておき、民心を得るとしよう」
とだけいった。
崔杼は、荘公の遺骸を一重の棺に入れて埋葬した。
棺に施した羽飾りはわずか四つ、蹕(先払い)をせず、下車(送葬の車)は七乗だけで、
武器すら使わなかった。
むろん諸侯の扱いではない。
それほど荘公に対する崔杼の怨みは深かったのである。
盟 い
荘公を弑した崔杼がまずすべきことは、新君主の擁立である。
「公子杵臼がよい」
杵臼は、荘公の弟である。
かつて斉に亡命した魯の叔孫僑如の女が霊公に寵愛され、生んだ公子が杵臼であった。
もはや崔杼の意向に逆らえる者など、斉にはいない。
崔杼は公子杵臼を君主に擁立し(景公)、みずからは引き続き宰相職にとどまり、慶封を左相にした。
それでも、群臣の動揺はおさまらない。
崔杼は、祖廟である大宮(大公の廟)に諸大夫を集め、
「われらと盟ってもらいたい」
と、強要した。
大夫たちは一人ずつ廟前へゆき、跪いて、
――崔・慶に与しなければ、上帝の罰を受けるであろう。
という盟言を述べさせられた。
――これでは、崔杼と慶封に臣従するようなものだ。
たれもがそうおもい、盟約をためらうものの、崔杼の部下が両側から武器で威しつけてきたため、
逆らえず、盟わざるを得なかった。
一人ひとりと盟言を述べ、犠牲の血を啜るたびに、崔杼は慶封と顔をあわせ、うなずき合った。
晏嬰の番がきた。
晏嬰が廟前で跪くと、崔杼の部下に両側から武器をつきつけられた。
「さあ、盟ってもらおう」
崔杼がそう促すと、晏嬰は天を仰いで嘆息し、
「君に忠義を尽くし、社稷のために働く者に与しなければ、上帝の罰を受けるであろう」
と、告げ、犠牲の血を啜った。
「ぶっ、無礼な――」
慶封が剣把に手をかけ、いまにも晏嬰に斬りかかろうとしかけた。
しかし、崔杼が手で制止し、
「やめよ。あれには輿望がある。与しなくても、敵に回さなければ、それでよい」
と、慶封をなだめた。
ともかくも、崔杼と慶封は、諸大夫と盟いを交わした。
大史の簡
崔杼が出仕すると、朝廷に掲示されていた書きつけに目をとめた。
――崔杼、その君を弑す。
崔杼としては、間男を始末しただけにすぎず、大逆罪を犯したという意識はなかった。
――君を弑す、とは無礼であろう。
崔杼は激怒し、書きつけた大史(記録官の長)を殺した。
翌日、崔杼が朝廷に出仕すると、同じ書きつけが再掲されていた。
殺された大史の弟が書いたものである。
崔杼は怒り、大史の弟を殺した。
さらに、そのつぎの日も、二番目の弟が同じ書きつけを再掲したので、崔杼はこれも殺してしまった。
さらにつぎの日、崔杼が朝廷に出仕すると、またもや書きつけがあった。
三番目の弟が書いたものである。
「もう、よい」
崔杼は、あきらめて不名誉を受け容れるしかなかった。
大史の兄弟が次々に殺されたと聞き、大史の部下の南史氏が簡策を持って朝廷へ急いだが、
崔杼の弑殺が記録されたと聞き、途中で引き返した。
生命の危機を顧みず、権力に屈することなく史実を枉げなかった史官の職務への矜持には、感服させられる。
破 綻
内政にも外交にも通じ、幾多の政争をくぐり抜け、敵対者に隙すらみせない崔杼は、
荘公を弑して景公を擁立し、政権を盤石にしたかにみえた。
しかし、綻びはおもいもよらぬところから生じたのである。
廃 嫡
崔杼は、前妻との間に崔成と崔彊という二子を設けていた。
また、東郭姜と棠公との間にできた子の棠無咎が、東郭姜の弟である東郭偃とともに崔杼を輔けた。
東郭姜は、崔杼に嫁いでから崔明を産んだ。
東郭偃と棠無咎は、崔明を嫡子にしようともくろみ、
「成さまは病がちゆえ、家内を治められないでしょう」
と、ことあるごとに崔杼に吹聴した。
崔杼もその気になり、崔成を廃嫡し、崔明を嫡子にした。
「せめて崔邑で隠居させていただきとう存じます」
崔成は、崔杼にそう願い出た。
「まあ、よかろう」
崔杼は崔明を憐れみ、その申し出を許した。
廃嫡されても、重要な邑である崔邑さえ領有すれば、実質は変わらない。
それゆえ、東郭偃と棠無咎は、
「崔は、宗邑(祖廟のある所)です。必ず宗主(嫡子)を置かれるべきです」
と、強く反対した。これに怒った崔成と崔彊は、慶封を訪ね、
「ご存知の通り、東郭偃と棠無咎だけが父君のそばについており、親族でさえ近づくことができません。
きゃつらが父君を害するのではないかと不安です。あえて申し上げました次第です」
と、援助を求めた。
「崔氏のためなら、二人を除きなさい。難事があれば、われが助けてさしあげましょう」
慶封のことばに背中を押され、気を大きくした二人は、
景公二年(紀元前五四六年)九月庚辰(五日)に、崔氏の内朝で東郭偃と棠無咎を殺してしまった。
滅 亡
「なにっ、東郭偃と棠無咎が殺されただと――」
崔杼は怒って外に出て、
「馬車を」
と、命じようとしたが、みなが逃げ出してしまっていた。
そこで、圉人(馬飼い)に馬を車に繋がせ、寺人(宦官)に御をさせて慶封邸へむかった。
「崔氏に福があって、余を引き止めてくれればよいのであるが・・・・・・」
崔杼はそうつぶやいたが、たれにも引き止められることなく慶封邸にはいった。
慶封は自分がけしかけたなどとはおくびにも出さず、
「崔氏と慶氏は一体です。きゃつらを討ちましょう」
と、崔杼を励まし、
「崔氏を攻めよ」
と、家臣に命じた。慶封の家臣は、甲士を率いて崔氏邸を攻撃した。
しかし、崔氏が邸の周りに低いひめがきをめぐらしてその内側で守ったため、撃ち破ることができなかった。
「国人に告げよ」
慶封は国人の援けを借りて崔氏邸を制圧し、崔成と崔彊を殺し、家じゅうの者を残らず捕らえられた。
家臣は崔杼に首尾を報告し、馬車を御して崔杼を邸へ帰した。
「着きましたぞ」
崔杼は、変わり果てたわが邸に呆然とした。
邸内はことごとく破壊され、入るところさえなかった。
――とっ、東郭姜は――。
崔杼は、無数の屍体の中から必死に妻を捜した。
崔杼にとって、他のすべてを失っても失いたくないのが東郭姜であった。
「あっ」
崔杼は、小さく叫んで立ちどまった。
そこには、東郭姜が横たわっていた。
首に縄が巻きつけられてあった。
縊死していたのである。
最悪の状況を目の当たりにして、生きる望みを失った崔杼は、最愛の妻の後を追うように縊死してしまった。
生き残った崔明が夜半密かに父の遺骸を先祖の墓に埋め、翌日魯へ亡命した。
崔氏は、斉の丁公から岐れ出て、連綿と続いた名家であった。
それが、崔杼の代で栄華を極めながらも瞬時にして滅亡してしまったのである。
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