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中国史人物伝

愛すべき楽天家 蘇軾(蘇東坡)(北宋)(1) 大志

科学的手法で漢字の成り立ちや意味を調べ(2006年11月2日読売新聞朝刊)、

『字統』『字訓』『字通』の字書三部作を独りで著し、

「最後の碩学」「知の巨人」

と、謳われた東洋学者の白川静 (1910-2006) 先生は、

「中国史上の人物で、誰がいちばんお好きですか」

と、尋ねられて、

蘇東坡(蘇軾)(1037-1101)

の名を挙げられた。

また、百歳まで生きられたら何を書きたいかを聞かれ、

「蘇東坡を書きたいね」

と、お答えになった。

先生が著した評伝には『孔子伝』があるが、

もし百歳を超えて生きておられたら、現在、

『蘇東坡伝』を手に取って読むことができたかもしれない。

白川版蘇東坡は、いったいどんな感じであったろうか。

そんなことに思いを馳せながら、蘇東坡の生涯を通観してみたい。

中国史人物伝シリーズ

目次

軾と轍

蘇軾はあざなを子瞻といい、眉州眉山県 (四川省) の人である。
六人兄弟の二男で、長男の景先と三人の娘は夭折した。
三歳年下の三男蘇轍(あざなは子由)とは終生親しく、蘇轍は蘇軾を敬慕していた。

名二子説

軾は車の前につけられた横木で、車上で礼をするときにそこに寄りかかる。
轍はわだちであり、車はその上を通る。そうすれば前に進みやすいからである。

父の蘇洵は、「名二子説」(二子に名づくる説)において、つぎのように語っている。
軾は何の役に立たない飾りのようにみえるが、軾がない車は欠陥車である。
なんじが礼で外面を飾らないのを心配して、軾と名づけた。
どんな車も轍をたどってゆく。ところが、車の便利さを述べる際には、轍のことには言及しない。
一方、車が転倒して馬が斃れても、轍には禍が及ばない。
轍は功を称されないが、禍を被ることもないため、うまく身を保つことができるのである。
なんじが禍を免れるであろうとおもって、轍と名づけた。

子をおもう父の気もちが、とてもよくあらわれている。
蘇軾・蘇轍兄弟とあわせて「三蘇」と称されるほど詩文に長けた文人だけのことはあろう。

教 育

蘇洵の家は、地元にいくつかの土地を所有する中小地主の知識層であったらしく、
貧しくはなく、庶民的な暮らしを送っていたようである。
蘇軾が幼い頃、蘇洵は遊学し、家にいることが少なかったため、母の程氏に育てられた。
程氏によると、蘇洵は公務員試験である科挙合格をめざして勉学に励んでいるという。

寺子屋

蘇軾は八歳のときに、父に連れられて小学(寺子屋)に入った。
そこで、三年ほど張易簡という道士について儒学や道教の経典を学んだ。
あるとき、蘇軾は、張易簡が詩を読んでいるのを耳にした。
「韓琦、范仲淹、富弼、欧陽脩は人傑である」
以後、この四人の名がかれの耳朶にこびりついた。
――いつか、この四人とともに天下のために働きたい。
蘇軾は、そう心に決めた。

母の薫陶

程氏は読書を好み、書物の要点を把握するのがうまかった。
「書物を読むときに、同輩のことを気にしてはなりませぬ。読書は、おのれを磨くためにするのです」
程氏は、いつも二人の子にそう教戒した。
かの女は、古今の成功や失敗の要訣を語ったり、古人の名言を引いて二人を叱咤激励したりした。
あるとき、程氏は、『後漢書』范滂伝を読み、慨然としてため息をついた。
范滂は、当時権勢をふるっていた宦官を批判して都から追放され、帰郷した。
宦官は詔命と偽り、范滂に捕吏をさしむけた。
県令(県知事)は范滂に逃げるよう勧めたものの、范滂は、
「法を破る悪行はできない」
と、いって、逃走を拒み、自首した。
范滂の母は、范滂の行動を讃えた。
かたわらにいた蘇軾が、母にたずねた。
「もしわれが范滂のようになったら、母上は許してくださいますか」
「そなたが范滂になれたのに、わらわが范滂の母になれないなんてことがありましょうか」
そう応えた程氏は、蘇軾が世の役に立とうという大志をいだいたので、
「わらわには、この子がいる」
と、喜び、
「そなたらが正しいことのために死ぬのなら、わらわは少しも寂しくありません」
ともいった。

進 路

慶暦七年(一〇四七年)、祖父の蘇序が亡くなり、父の蘇洵と伯父の蘇渙が喪に服すために帰ってきた。
蘇渙は、一族ではじめて科挙に及第し、任官した人であった。
伯父に初めて会った十二歳の蘇軾は、強い印象を受け、
――あの四人に少しでも近づきたい。
というおもいを、いやましに募らせた。
そのためには、伯父のように科挙に及第しなければならない。
蘇軾は、弟の蘇轍とともに科挙合格を目指し学問に励んだ。
しかし、役人になることを志してからまったく心が揺れなかったわけではなかった。
道士から教えを受けた影響であろうか、自然のなかに暮らす隠遁者にも強く憧れ、
役人になるべきか真剣に悩んだこともあった。
かれにも、思春期があったようである。

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