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中国史人物伝

一旦緩急 文帝に直諫し、景帝から頼られた俠士 袁盎(爰盎)(前漢)(2) 直諫の士

袁盎(1)はこちら>>

袁盎はいつも現状を慷慨するあまり、重臣や諸侯王ばかりか

皇帝に対しても歯にものを着せぬ発言をおこない、正論をぶつけた。

これぞ俠士の真骨頂といえよう。

俠客は、ともすれば公権力を軽んじる傾向があった。

それゆえ、武帝のあたりから漢朝が儒教を重んじるようになると、

かれらは礼法を乱すものとして爪弾きにされた。

ところが、官僚が繰り広げた腐敗した政治に人民は反感をいだき、

権力に抗しつつ弱者を護る任俠を頼みにした。

中国史人物伝シリーズ

目次

意趣返し

「なんだって主上はあんなやつをかわいがるんじゃ」
袁盎は甥の袁種をまえにそうこぼし、憤り嘆いた。
文帝は、宦官の趙談を寵幸していた。
その趙談が、袁盎のことをつねに敵視していた。
そのことを袁盎が患えていると、
「衆人の面前で趙談を辱めておいて、
趙談が君の悪口をいっても主上が信じないようにすればいいじゃないですか」
と、袁種にいわれた。
――なるほどな。
文帝が趙談を陪乗させていたところ、袁盎は馬車のまえに伏して、
「天下の豪英でなければ、天子の乗輿に陪乗することができない、と臣は聞いてございます。
いま、漢には人が乏しいとはいえ、陛下はどうして刀鋸の余(宦官)を陪乗なさいますのか」
と、訴えた。
文帝は笑って、趙談を馬車から降りるよう命じた。趙談は泣きながら下車した。

聖主不徼幸

文帝が、寿陵(覇陵)を視察した。
そのとき、袁盎は文帝の馬車の御者を務めていた。
文帝が視察を終え、急坂を馳せくだらせるよう命じると、袁盎は手綱をひかえた。
「どうした。おじけたのか」
文帝からそうからかわれ、袁盎が、
「千金の子は堂の端近くに坐らず、百金の子は手すりにまたがらず、聖主は危うきに乗らず、幸いを僥めず。
臣はそう聞いてございます。いま陛下は六頭立ての馬車で急坂を馳せくだろうとしておいででございますが、
もし馬が驚いて車がこわれるようなことがありますれば、いかがなされるご所存でございますか」
と、返すと、文帝はおもいとどまった。

尊卑の序

文帝が竇皇后と寵姫の慎夫人を従え、上林苑に行幸した。
禁中では、竇皇后と慎夫人はいつも同坐していた。
それゆえ、郎署長が禁中と同様に席を設えたが、袁盎は慎夫人の席を竇皇后の下座に変えた。
慎夫人は怒って座ろうとせず、文帝も怒り、席を起った。
袁盎は進みでて、
「尊卑に秩序があれば、上下は和する、と臣は聞いてございます。
陛下はすでに皇后をお立てになられておりますれば、慎夫人は妾でございます。
妾を主(皇后)と同坐させてよいのでしょうか。
陛下が慎夫人をご寵愛なされるのでしたら、賞賜を手厚くなさればよいのです。
陛下が慎夫人のためになされることは、かえって禍になりましょう。人豕のことをご存じでしょう」
と、説いた。
かつて呂后は、皇帝になった劉邦が労苦を共にした自身をないがしろにして、戚夫人を寵愛したことを嫉み、
劉邦の死後、戚夫人の手足を切り、
「人豕(人彘)」
と、よばせた。
それから二十年も経っていないこのころ、その凄惨さは人びとの記憶にまだ鮮烈に残っていた。
袁盎の話をきいて文帝はよろこび、慎夫人にそれを語げた。
袁盎は、慎夫人から金五十斤を賜った。

呉の丞相

袁盎は直諫がすぎたため、久しく宮仕えすることがあたわず、隴西都尉(警察署長)に転出された。
袁盎は、士卒をかわいがった。
それゆえ、士卒はみな争ってかれのために生命を投げだそうとした。
のちに袁盎は斉の丞相、ついで呉の丞相へと遷任した。
呉王の劉濞は劉氏の有力者であり、
「謀叛の相がある」
と、季父の劉邦から指摘されていた。
中央から目付役として派遣された袁盎を、劉濞は警戒するであろう。
赴任にあたり、甥の袁種から、
「呉王(劉濞)は驕ること久しく、国にはよこしまな者が数多おります。
人民に厳しく臨めば、かれらは上書して君を告発するか、さもなければ利剣で君を刺しましょう。
南方は卑湿です。君は毎日酒を飲み、謀反なさいますな、と呉王を説くだけでかまいません。
さすれば、なんとか禍を免れましょう」
と、知恵をつけられた。
袁盎がそのとおりにすると、かえって劉濞から厚遇されるようになった。

戒 言

のちに袁盎は、呉の丞相の職を解かれ、都に召還された。
その後、馬車に乗っていると、丞相の申屠嘉の馬車とすれちがった。
袁盎が車から降りて拝謁したのに対し、申屠嘉は車上から挨拶しただけであった。
――なめげな。
この仕打ちを愧じた袁盎は、丞相の官舎へゆき、謁(名刺)をさしだして申屠嘉に面会を求めた。
「いつお戻りになられるかわかりませんぞ」
丞相の下僚からそういわれても、
「かまいませぬ」
と、袁盎はその場から動こうとしなかった。
そして、久しく待たされてから、ようやく申屠嘉に会うことができた。
袁盎は跪き、
「お手すきになられましたら、申しあげたき儀がございますが」
と、話しかけた。
「君がいわんとすることが公事なら、曹(役所)へゆき、長史や掾と議論してもらいたい。
われはその結果を奏するといたそう。私事であれば、われは私語を受けつけぬ」
申屠嘉がそうわずらわしげに返すと、袁盎は起って、
「君は丞相として、陳平や絳侯(周勃)よりすぐれているとお思いですか」
と、問うた。
「及ばない」
「君がそうおっしゃるのは、ごもっともです」
袁盎はそう応じてうなずき、
「陳平と絳侯は高帝を輔翼して天下を定め、将相となって呂氏を誅し、劉氏を存続させました。
君は武勇で隊長となられ、功を積んで淮陽郡守になられたものの、
奇計を出したり攻城野戦の功があったわけではございません。
陛下は代から来られ、朝廷にお出ましになられるごとに、郎官が上書を奉れば、
輦車を止めてお受けにならなかったためしがございません。
上書の内容が取るに足らないものであればそのままとし、
取りあげるべきものであればお称めにならなかったことがありません。それは、どうしてでしょうか。
天下の傑物をお召しかかえになりたいがためです。
陛下が毎日きいていないことをきいて聖智を増やしておいでですのに、
君が天下の口を箝すれば、日に日に愚かになってしまいます。
聖主が愚相を責めることになりますれば、君が禍にかかるのも遠い先のことではありますまい」
と、説いた。
すると申屠嘉は再拝し、
「嘉は鄙人にて、存じませんでした。将軍にご教示いただけますと幸いです」
と、いい、袁盎を上客とした。

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