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中国史人物伝

“天下三分の計”の立案者 蒯通(蒯徹)(前漢)(3) 舌の効用

蒯通(蒯徹)(1)はこちら>>
蒯通(蒯徹)(2)はこちら>>

「天下三分の計」は、蒯通が発案し、諸葛亮孔明は模倣したにすぎない。

模倣者よりも発案者の方がふつうは評価が高いが、

蒯通が天下三分の計を発案したことはあまり知られていない。

蒯通は、「天下三分の計」を説いたものの、韓信に容れられなかった。

孔明は同様の計を説いて、劉備に聴き容れられた。

蒯通と孔明の知名度は、韓信と劉備の気宇の大小を反映したものとなった。

中国史人物伝シリーズ

目次

逸 機

大義と小義

韓信は、大義と小義をはき違えているような気がする。
大義とは天下万民のために戦争を終焉させることであり、劉邦への恩など小義にすぎない。
それなのに、韓信はつまらない小義にばかりこだわり、大義を見失っている。
聡慧な韓信であれば、そこまでことばを費やさなくてもわかるはずではないか。
――何としてでも斉王を鴻鵠にしたい。
蒯通はなおもあきらめきれず、数日してふたたび韓信を説いた。
「聴くことは、事が成る兆候です。計ることは、存亡のきっかけです。
雑役に従事すれば万乗の君の権威を失い、わずかな禄にしがみついてしまえば卿相の高位になど昇れません。
よく計りよく知っているのに決行できないのは、百事の禍です。
功業は成り難くて敗れやすく、時は得難くて失いやすいのです。
時なるかな時、再び来らず。どうか臣を信じてくだされ」
しかし、韓信はわずらわしげに、
「それ以上申されるな。もう決めたことじゃ」
と、だけいい、横をむいた。

佯 狂

一礼して退去した蒯通は、
――われの買いかぶりであったか。
と、韓信が天下人になれぬことを確信した。
韓信は劉邦がおのれを厚遇してくれることに満足しており、
またおのれの功が多大なので、まさか劉邦がおのれを脅かすことはあるまい、と高を括っているのであろう。
しかし、劉邦はそんなに生やさしい男なのか。
憶いだしてみればよい。
かつて劉邦は、項羽に臣服してまでして生き延びようとしていた。
それが、形勢が変わればそんなことも忘れて項羽に戈矛をむけているではないか。
そんな男が、韓信の功にいつまでも恩義を感じていようか。
人間というものは、受けた恩はすぐに忘れるが、恨みはいつまでも忘れないものである。
それなのに、韓信は、劉邦にかけた恩にこだわり、劉邦に与えた恨みに気づかない。
酈食其を殺されたうえに、項羽に苦しめられている最中に斉王になりたいなどと
足もとをみるようなことを願いでたのであるから、韓信に対する劉邦の恨みは積み重なっていよう。
韓信が漢の臣でありつづけたいのであれば、酈食其が斉王田広を説伏させたときに進軍を止めるべきであった。
あのとき蒯通の進言を容れて斉に攻めこんだ時点で、韓信には自立するしか生きる途はなくなったといえよう。
人間の真価は、切所においてあらわれる。
韓信にとっての切所は、いまを措いてほかにあるまい。
その切所で、韓信は怖気づいてしまった。
けっきょく、韓信はおのれのことしか考えることができず、
のちのことをはかり、人民万世のことをおもって行動することができない男であった。
蒯通はそんな男を過大評価したことを慚愧し、後難を恐れ、狂をよそおい、巫となり、巷間にまぎれた。

舌の効用

その後、韓信は蒯通のことば通りの末路をたどった。
漢が天下を平定すると斉を奪われ、楚王に転封されたのもつかの間、
罪を被せられて淮陰侯に貶され、長安で悶々とした日々を送った。
そして、紀元前一九六年に、韓信は謀叛のかどで誅殺されたときいた。
――われは、きっと逮捕されよう。
はたして蒯通は捕らえられ、都長安へ連行され、劉邦のまえに引き据えられた。
かたわらには煮えたぎる鼎が置かれていた。
――酈食其と同じ目に遭わせようというんだな。
胸裡でそうつぶやいた蒯通の耳に、
「なんじが韓信に謀叛を唆したのは、なんでじゃ」
という劉邦の声がおりてきた。
「狗はみなその主人でない者に吠えるものです。
あのとき、臣はただ斉王韓信だけを存じており、陛下を存じておりませんでした。
それに、秦は鹿(帝位)を失い、天下がこぞってこれを逐うて、才の高い者が真っ先に得たのです。
天下は騒がしく、争うて陛下がなされたことをしようとしたまでのこと。
おもうに力が足りなかっただけのことで、それをことごとく誅すことなどできましょうや」
蒯通はひるまずにそう応えると、劉邦は、
「豎子めが、いいおるわい」
と、笑っていった。
蒯通は誅殺をまぬかれ、釈放されたものの、
――三寸の舌では、おのれの生命を救うことしかできなんだわ。
と、自嘲するしかなかった。

曹参礼遇

斉へ帰った蒯通は、斉の相国(宰相)となっていた曹参から招かれ、その客となった。
「先生の任務は、曹相国が気づかぬことを気づかせて過失を指摘し、賢人を挙げて能者を進めることです。
先生は、梁石君と東郭先生が世俗の及ばぬことをご存知でしょう。
なにゆえふたりを相国にお薦めしないのですか」
ある客からそういわれ、蒯通は曹参に面会を求めた。
「夫に死なれて三日で再嫁した婦人と、夫に死なれてから閉じこもって門を出ない婦人がいたとします。
あなたが婦をお求めになられるなら、どちらをお取りになりますか」
「再嫁しない方です」
「それなら、臣下を求めるのも同じようなものでしょう。梁石君と東郭先生は斉の俊士です。
それなのに隠居して再嫁せず、節を折り意を屈して仕官を求めようとしておりません。
どうか使いを出して礼をもってふたりをお迎えなさいますよう」
「承りました」
曹参はふたりを迎え、上賓とした。
曹参は黄老の術を用いて政治をおこない、かれが宰相を務めた間、斉は平穏であった。

雋 永

蒯通は、戦国時代の説士たちの権変(適宜の対応)について論じ、またみずからも権変について述べ、
『雋永』
と、号した。
雋永とは、肥肉である。
かれは、自分の説に肥えた肉を食べたようなうまみを感じ、もしかすると、
――もっとはやく生まれていれば。
と、悔恨したのかもしれない。

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