怜悧さと冷酷さと 乱世の梟雄 崔杼(春秋 斉)(2) 妖艶の未亡人
霊公が亡くなり、荘公(太子光)が斉の君主になると、
荘公を擁立した功により、崔杼は宰相になった。
大国をおもいのまま運営できるようになったふたりが、
ひとりの美熟女に翻弄されてしまう。
中国史人物伝シリーズ
崔杼その君を弑す
目次
報 復
紀元前五五四年、太子光が君主に即位した。荘公である。
かれが君主の席についてまずおこなったことは、廃太子牙の逮捕であった。
霊公の喪に服すべきところを、報復を真っ先にした荘公の器量のほどが窺えよう。
「高厚をどうしようか」
宰相になった崔杼は、荘公の諷意を受け、高厚を灑藍(臨淄の郊外)で殺し、財産を奪った。
これは、四十四年前、高氏に追放されたことへの報復であろう。
蟷螂の斧
勇武を嗜む荘公が狩りに出かけると、一匹の虫をみつけた。
その虫は足を挙げて、荘公の車の車輪に搏ちかかろうとしていた。
「何の虫か」
荘公が御者に訊くと、
「蟷螂(かまきり)です。この虫は進むことは知っていますが、退くことを知りません。
おのれの力を量らずに、敵を軽んじているのです」
ということばが返ってきました。
「人であれば、勇武で天下に名を響かせたであろう」
荘公は感嘆し、車を迂回させて蟷螂を避けさせた。
「蟷螂の斧」
という成語は、『淮南子』にあるこの逸話から生まれたものである。
欒盁の乱
荘公二年(紀元前五五二年)、晋の宰相である士匄が、欒盁を追放した。
――父君の無念を晴らしたい。
荘公はそう意い、欒盁の亡命を受け容れた。
二年後、荘公は欒盁を晋へ送りだすと、大軍を率いて衛を伐った。
「なりませぬ。小国が大国の敗戦につけこんで攻めたりすれば、きっと咎を受けるであろう、
と臣は聞いてございます。なにとぞご再考を――」
と、崔杼が強諌したが、荘公は聴き容れない。
「君をどうなさるおつもりか」
退出時、陳須無にそう詰め寄られた崔杼は、渋い表情をつくり、
「君がお聴き容れあそばされなかったのだ。晋を盟主と仰いでおきながら、晋の禍難を利となされる。
もし危急があれば、君をいかがいたそうか。なんじはしばらく黙っていてもらいたい」
と、返した。
いざとなれば荘公を弑して晋にいいわけをすればよい、とほのめかしたのである。
「崔子はいずれ死ぬであろう。君を非難しておきながら、おのれはそれ以上のことをしようとしている。
ろくな死に方はせぬであろう」
後で陳須無は従者にそう吐き棄てた。
欒盁の叛乱は鎮圧され、荘公は遠征をやめた。
――晋が攻めてくる。
斉の朝廷がその話でもちきりになると、荘公は慄然し、陳無宇(陳須無の子)を楚に遣り、援軍を要請させた。
崔杼は兵を率いて陳無宇を国境まで護衛すると、莒を伐ち、介根に侵攻した。
同姓婚
――みめよし。
崔杼が棠公(棠邑の大夫)を弔問した際、未亡人となった棠姜に心を奪われた。
「あれは、なんじの姉であったな」
帰途、崔杼が家臣の東郭偃にそう問うた。
「さようでございます」
その返事を聞くなり、崔杼は、
「わが妻としたい」
と、いいだした。
「それはなりませぬ。男女は姓を別にするものです。君は丁公から出て、臣は桓公から出ております」
東郭偃は、あわててそう反対した。
崔氏も東郭氏も斉公室の岐れであるから、いずれも姓は姜である。
したがって、両家の婚姻は、同姓不婚の慣わしに反することになる。
『国語』(晋語四)に、
――同姓婚せざるは、殖らざるを悪むなり。
と、あるように、同姓が結婚しないのは、繁殖しないのを嫌うからであるらしい。
棠姜をあきらめきれない崔杼は、筮竹にも問うてみた。
――困の大過に之くに遇う。
卦をみせながら史官たちに訊くと、
「吉でございます」
という応えばかりであった。
じつは不吉の卦であったが、権力者であった崔杼に阿ったのである。
不安にかられた崔杼は、陳須無にこの卦をみせた。
陳須無は出た卦を解説し、
「凶です。娶ってはなりませぬ」
と、警告した。
「寡婦にいったいどんな害があるというんじゃ。その卦は、死んだ夫のことじゃろう」
崔杼はそうこじつけて、ついに棠姜を娶ってしまった。
おのれに自信がありすぎる崔杼は、禁忌すら畏れなかった。
崔杼の妻となった棠姜は、東郭姜と呼ばれることになった。
不 貞
「傾国の美女」
なる語があるが、東郭姜の美貌が内乱の端緒となったのであるから、罪作りな女であろう。
荘公が崔杼の邸を訪ねたとき、東郭姜に目をとめた。
東郭姜に密通した荘公は、頻繁に崔杼の邸へ通いつめ、崔杼の冠を群臣に下賜した。
近臣が見かねて諫めたものの、
「冠はみな持っておるゆえ、崔子のものとはわかるまい」
と、荘公は全く意に介しなかった。
やがて、崔杼は荘公が妻に淫通していることを知った。
――おのれのいまあるのは、たれのおかげだとおもうておるんじゃ。
崔杼は荘公を怨み、弑そうと決めた。
しかし、荘公に膂力があるうえに警護が厳重であり、なかなか隙をみいだせなかった。
荘公を怨んでいた者は、ほかにもいた。
賈挙という侍臣は、些細なことで荘公を怒らせてしまい、鞭で打たれたことがあった。
ところが、荘公はしばらくするとふたたび賈挙をもとのように近侍させた。
「ひとつ、卿のために君を伐つ機会を探りましょう」
賈挙は崔杼にそう申し出ると、荘公のそばに侍り、復讎の機会を窺っているうちに、
「五月に、君が莒君に面会なさるそうです」
という情報をつかんできた。
その話の通り、五月に荘公は莒君を饗応した。
その頃、崔杼は病と称して出仕しなかった。
「明日、見舞いにゆかねばならぬな」
そうつぶやいた時点で、荘公はおのれが崔杼の術中に嵌まったことを自覚していなかった。
弑 君
荘公六年(紀元前五四八年)五月乙亥(十七日)、荘公は崔杼の邸へゆき、崔杼を見舞った。
荘公は病牀を出ると、東郭姜を探した。
東郭姜がある部屋に入ったのをみつけた荘公は、その部屋の中に入ったが、たれもいなかった。
「姜氏や、姜氏」
荘公は柱をたたきながら歌を歌い、東郭姜を呼んでみた。すると、外から物音が聞こえた。
荘公は、物音を聞いて喜んだ。
音が大きくなった。だが、それは衣が擦れる音ではなかった。
荘公が外に目をやった瞬間、門が閉まった。
「かっ、賈挙か――」
荘公が小さく叫んだ刹那、甲士がどっと現れ、まわりを囲んできた。
荘公は囲みを破って楼台に逃げ、最上階まで登った。
楼下は、崔杼の兵ですっかり埋め尽くされていた。
「わしが悪かった。許してくれい」
荘公が楼上から大声でそう叫ぶと、
「なりませぬな」
と、崔杼は楼下から冷たい声を浴びせかけた。
「ならば、盟おうでないか」
「なりませぬな」
「宗廟で自刃させてくれ」
「なりませぬな」
「ぬうう」
荘公がことばにもならないようなうめき声を発すると、
「君の臣杼、病が重く、ご命令を承ることができ申さず、公宮に近いので、陪臣が夜回りをしていると、
淫者が出没したので、捕らえようとしているまでのこと。他の命を受けるわけにはまいりませぬ」
と、崔杼が返した。
「ええい、こうなれば――」
荘公が楼下に降りて庭に出て、牆を越えようとすると、宙にむかって無数の矢が放たれた。
そのうちの何本かが、荘公の股に中たった。
荘公は、ひっくり返って落ちたところを殺されてしまった。
色欲に溺れた末の愚劣な最期であった。
崔杼は晋の君臣に贈賄して和睦するとともに、荘公に与した者を粛清した。
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