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中国史人物伝

“蛇足”の生みの親 張儀の仇敵 陳軫(戦国時代)

戦国時代には論客が諸国を遊説し、巧みな弁舌で諸侯を説いた。

その代表が、蘇秦と張儀である。

次いで、張儀を嫌い抜いた陳軫も重要人物に挙げられよう。

陳軫は、張儀に仇敵視され続けた。

それだけかれにすぐれた才能があったのは間違いあるまい。

中国史人物伝シリーズ

目次

張儀との反目

斉王と同族とされる陳軫が仕官したのは、西方の秦であった。
秦は、商鞅の大改革で富国強兵を果たしていた。
――これから栄えるのは、秦であろう。
かれがそう洞察して秦に仕えたのは、紀元前三二九年ごろであった。
ほどなく、かれは恵文王に重用された。
同じころ、張儀も秦に仕え、重用されていた。
ふたりは、恵文王の寵愛を争った。
陳軫は秦と楚のあいだを往来し、遊説していた。
張儀はそこにつけ込み、
「陳軫が何度も秦と楚を往復しているのは、両国の親交を深めるためでございましょう。それなのに、楚が秦に親しむ気配はなく、陳軫と親しくしてございます。これは陳軫がおのれのためにしているだけで、王のためではないのです。陳軫は楚へゆこうとしております。どうして王はその願いをお聴き容れなさらないのですか」
と、恵文王の耳に吹き込んだ。
「まっ、まことか」
驚愕した恵文王は陳軫を召しだして、
「あなたは秦を去り楚へゆこうとしているらしいが、本当か」
と、たずねた。
「その通りです」
陳軫があっさりとそう応えると、恵文王は、
「張儀が申したことは本当であったか」
と、唸った。
「張儀だけが知っているわけではございません。道行く人びともみな知っております。伍子胥が君(呉王)に忠を尽くせば、諸侯はみなかれを臣下にしたいとおもったそうです。われが大王に忠義でなければ、どうして楚がわれを忠臣といたしましょうや。忠義を尽くしていながら棄てられるのでしたら、楚へゆかずにどこへゆけばよいでしょうか」
「なるほど」
恵文王は感嘆し、陳軫を引きとめ、厚遇した。

両虎相争う

紀元前三二八年、張儀が宰相になると、楚へ出奔し、懐王に仕えた。
楚が斉と国交を断絶したので、斉は楚を攻めた。
――秦が斉を援けるのではあるまいか。
そう気になってしようがない懐王に、陳軫は、
「地を割いて、東は斉、西は秦と講和なさるのがよう存じます」
と、進言した。懐王は陳軫を秦に遣わした。
恵文王は陳軫を引見すると、
「あなたはかつて秦で寡人(君主の一人称)に仕えていた。じゃが、寡人を棄てて楚王に仕えている。
楚王のために計る余力で寡人のために計ってもらえまいか」
と、懇ろに話しかけた。
陳軫は少し考えこんでから、
「大王は楚に仕えた呉人のことをご存知でしょうか」
と、恵文王にたずねた。
「知らぬ」
「呉人は楚王からたいそう寵愛されましたが、病気にかかりました。楚王が見舞いの使いを出そうとすると、近臣が故郷をおもって罹病したのなら、呉の歌を口ずさむでしょう、と進言したそうです。臣は大王のために秦の歌を口ずさみましょう」
陳軫はそういって、恵文王の疑念を解いた。
「おお、ならば聞こう。いま、斉と楚が戦っている。援けるのがよいかどうか、教えてくれまいか」
「管与の話をご存知でしょうか」
陳軫はそう前置きし、つぎのような話をはじめた。
二匹の虎が、人を喰らおうと戦っていた。
管荘子(『史記』では、卞荘子)が虎を刺し殺そうとすると、管与が制止し、
「虎は貪欲で、人が好物です。いま、二匹の虎が人を喰らおうと戦っています。戦えば小さい虎が死に、大きい虎は傷つきましょう。手負いの虎を刺し殺せば、一挙に二匹の虎を仕留めたという名誉が得られます」
と、助言したという。
「いま、斉と楚が戦っております。戦えば斉が敗れましょう。その後で大王が兵を出して斉を救いなさいませ」
これが、陳軫の献策であった。
「なるほど」
恵文王は陳軫の策に乗り、ただちに兵を出そうとしなかった。
こうして、秦が斉に加勢することを阻止したのである。

蛇 足

楚の令尹である昭陽が魏を伐ち、将を殺して八城を攻め取ると、軍頭を転じて斉を攻めた。
斉の朝廷は騒然となり、楚軍への対応を協議した。
このとき、たまたま使いで斉にきていた陳軫は、
「われにおまかせください」
と、申し出ると、楚軍の本陣を訪れて昭陽に面会を求めた。
陳軫と昭陽は、たがいによく知った仲である。
陳軫は昭陽に会うと、再拝して戦勝を賀ってから、立ち上がり、
「楚の法では、敵軍を倒して敵将を殺したら、どんな官爵を得られるのでしょうか」
と、たずねた。昭陽は上機嫌で、
「官は上柱国となり、爵は上執珪になろう」
と、応えた。
「それより貴いものはございますか」
「令尹だけだ」
「令尹は高貴ですが、楚王がふたりも令尹にするわけにはまいりますまい。
公のためにたとえ話をしてさしあげたいのですが、よろしいですか」
「いいとも」
陳軫は、つぎのようなたとえ話をはじめた。
楚で祭祀をした者がいて、舎人(家来)に大杯の酒をふるまった。
酒の量は、みなで分ければ足りないが、ひとりで吞めば余ってしまう。
「地面に蛇の絵を描き、最初に描けた者が酒を吞むことにしよう」
舎人たちは、話しあってそう決めた。
「描けたぞ」
最初に蛇の絵を描き終えた者が左手に大杯を持ちながら、空いた右手で木切れを動かして、
「われは蛇の足だって描けるぞ」
と、壮語した。
しかし、まだ足を描き切らないうちに、つぎに蛇の絵を描き終えた者が大杯を奪い取り、
「蛇に足なんかない。おまえに蛇の足など描けるもんか」
といい、ついに酒を吞み干してしまった。
「蛇に足をつけようとした者は、酒を吞みそこないました。いま、君は楚の令尹として魏を攻め破り、将を殺し、八城を攻め取り、さらに斉を攻めようとされております。斉では、公をたいへん畏れております。それで十分ではございませんか。それに、令尹の位にさらに増し加える官などございませぬ。戦って負けなかったからといって、とどまることを知らないと、身は死に、爵位は後任のものになりましょう。それでは蛇の足を描くようなものです」
「そうよな」
昭陽は陳軫の話に納得し、斉への攻撃を中止して引き揚げた。
陳軫の口から紡ぎだされた譬喩から、
「蛇足」
ということばが生まれた。
この成語は、海を超えて東のかた日本に伝わり、二千三百年が過ぎた現在でもなお、
「なくてもよいむだなもの」
のたとえとして使われている。

徒 労

紀元前三一三年、張儀が秦の使者として懐王に謁見した。
「大王が斉との同盟を破棄なされば、わが領地を献じます」
張儀は、そう持ちかけて懐王の歓心を買った。
「張子が領地を献じるわけがございません」
陳軫は張儀の欺罔を見抜き、懐王に諫言を呈したが、無視された。
懐王が斉との同盟を破棄して、商・於の地を受け取りに行かせた。
しかし、張儀は言を左右にして、与えようとしなかった。
「おのれ、張儀め。たばかったな」
怒った懐王は、兵を挙げて秦を攻めようとした。
陳軫はここでも諫めの言を揚げ、頽勢を挽回するための策を進言した。
しかし、懐王はそれをも無視し、大軍を発して秦を攻めた。
秦軍はこれを迎撃して丹陽で大勝し、楚から漢中を奪い取った。
それでも懲りない懐王は、さらに国じゅうの兵をかき集めて再度秦に攻め込んだ。
ところが、楚軍は藍田で大敗した。
懐王の軽挙で、楚は広大な領地と多数の兵を失ってしまった。
かれは目先の利益に目がくらみ、ものごとの本質を見抜こうとしなかった暗君である。
――もう、ついてゆけぬ。
陳軫は楚を見限り、魏へ行った。
しかし、魏でも張儀に讒言された。

評 価

類まれな賢知がありながら、陳軫は悲運の人物であった。
秦の将来性を洞観していながら、楚に身を置いた撞着から、楚にも秦にも付ききれなかった。
それゆえ、陳軫の策にはその場しのぎのものが多い。
「蛇足」が人口に膾炙し、不朽となった陳軫の事績が張儀ほど喧伝されなかったのは、
かれに張儀のようなあくの強さがなかったからなのかもしれない。
張儀がいなければ、かれの事績はより赫赫としたかもしれないが、後世に伝わらなかったかもしれない。
張儀との関係に言及せずに事績を語ることができないのは、陳軫にとっては不本意であったろう。

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