剛直ゆえに次の丞相で終わった高節の儒者 蕭望之(前漢)(6) 致廷尉
蕭望之(5)はこちら≫
宣帝の遺命で元帝を輔政することになった蕭望之は、
周堪とともに太子であった頃からの師であったことから、元帝から尊重された。
一方、中書令の弘恭と石顕が外戚の史高と組んで政権を壟断し、蕭望之らと反目した。
蕭望之は二人をのぞくよう元帝に進言したが、
優柔不断なところのある元帝は消極的な反応をみせた。
外朝と内朝の間隙が拡がるなか、
元帝は倚信する蕭望之を丞相(首相)にしたいという意向をもつにいたった。
宣帝の御世において、宰相の地位が手に届くところにいながらも、
丞相に任じられなかった蕭望之であったが、ついに鼎位にすわることができるのか。
中国史人物伝シリーズ
蕭望之(1) 従志
蕭望之(2) 宮仕え
蕭望之(3) 扶政
目次
訊 問
蕭望之は休日に宮中から出たところを、弘恭に呼び止められ、
「将軍が車騎将軍(史高)を罷めさせ、許氏と史氏を退けようと謀っているという上書がありましたが」
と、訊問された。これに対し、
「外戚には高位にいて奢淫な者が多いため、国家を匡正しようとおもうたまでのこと。
邪なことなど、たくらんでおらぬ」
と、蕭望之は弁明した。
これを受け、弘恭と石顕は、
「蕭望之、周堪そして劉更生は朋党を組んでたがいに称めあい、
しばしば大臣を譖訴し、親戚をそしって引き離し、権勢をほしいままにしております。
これは臣として不忠であり、上を誣いて不道です。
謁者が召して廷尉におくるようにしていただきたく存じます」
と、上奏した。
「よかろう」
元帝は何の疑義もいだかずに、これを裁可した。
蕭望之らは、獄に下されてしまった。
致廷尉
「周堪と劉更生を、これへ」
元帝がそう命じたところ、
「かれらは、獄に繋がれております」
という声が、近臣から返ってきた。
「廷尉が問いただしているだけじゃなかったのか」
元帝はおおいに驚き、ただちに弘恭と石顕を召し出し、
「蕭望之らを獄に繋ぐとは、どういうことじゃ」
と、責めた。二人は、叩頭して謝した。
じつは、元帝は、「廷尉におくる」という語の意味を知らずに、
不用意にも弘恭と石顕の上奏を裁可してしまったのである。
「かれらを獄から出して、職務に復させるように」
元帝がそう命じると、
「主上は新たにご即位されたばかりで、まだ徳化をもって天下に聞こえておられません。
まず師傅を験問なされ、すでに九卿および大夫を獄に下されました。
こうなりましたからには、肚を決められて罷免なさるべきであると存じます」
ち、史高が進言した。元帝は丞相と御史に詔を下し、
「前将軍蕭望之は朕の傅たること八年、他に何の罪過もない。
いまとなっては遠い前のことであり、忘れていることもあろうし、明らかにしがたい。
そこで蕭望之の罪を赦し、前将軍光禄勲の印綬を回収し、周堪と劉更生の職を免じて庶人とする」
と、命じた。
そして、この事件の端緒をひらいた鄭朋は、黄門郎になった。
内 意
蕭望之が獄から出されてから数か月が経った初元二年(紀元前四七年)冬、元帝は詔を下し、
「国がまさに興らんとする際には、師を尊び傅を重んじるものである。
蕭望之は朕の傅たること八年、経書をもって導き、その功には著しいものがある。
それ蕭望之に関内侯と食邑八百戸を賜い、給事中とし、
朔(一日)望(十五日)に参朝させ、席次は将軍の次位とする」
と、命じ、蕭望之を厚遇した。
その真意は、即位してから災異が相次いで起こったことから、
丞相を替えて、倚信する蕭望之を据えることにあった。
しかし、まさか丞相になれようとは、夢にもおもっていなかった蕭望之は、
子の蕭伋に上書をさせ、さきに有罪とされた事案を控訴した。
自 裁
事案は、有司に下げ渡された。
「蕭望之が前に坐した罪は明白で、譖訴した者がいないのに子に上書させたのは不敬であります。
どうか逮捕されんことを」
という復奏を受け、
「蕭太傅は剛毅ゆえ、おとなしく服しようか」
と、元帝が懸念を吐露したところ、弘恭と石顕は、
「人命はいたって重うございます。
蕭望之が犯したのはことばによる軽い罪ゆえ、憂えるほどではございません」
と、応じた。元帝はその発言を真に受け、
「それならば」
と、蕭望之の逮捕を裁可してしまった。
勅使が至り、蕭望之は召しだされた。
——小人に嵌められて殺されるわけにはゆかぬ。
とのおもいから、
「鴆を飲む」
と、蕭望之は決めたが、
「これは天子の本意ではございません」
と、夫人に止められ、一度はおもいとどまとった。
だが、釈然としなかったので、
「いかがすべきか」
と、門下生の朱雲に問うたところ、
「自裁なさるべきです」
と、勧められた。
——やはり、そうであるな。
蕭望之は天を仰いで、
「われはかつて将相になり、年齢は六十を踰えた。
老いて牢獄に入り、かりそめに生きながら得ようと求めるのは、鄙しくはないか」
と、嘆き、
「鴆をもて」
と、朱雲に命じ、手渡された毒を仰いだ。
初元二年(紀元前四七年)十二月のことであった。
蕭望之は次の宰相に近い地位にありながら、ついに丞相になることができなかった。
追 念
元帝は訃報に接して驚き、手を拊きながら、
「さきに牢獄に就かないのではないかと疑うたが、はたしてわが賢明な太傅を殺してしもうた」
と、嘆いた。
ちょうどこのとき太官が昼食を奉ろうとしていたが、元帝は食膳をしりぞけ、蕭望之のために涕泣した。
その哀しみは、左右の者の心を動かすほどであった。
元帝は蕭望之を追念して忘れず、歳時ごとに使者を遣わして蕭望之の塚を祭らせた。
シェアする