躡蹻檐簦して得た尊位を擲ち、義俠に生きた合従論者 虞卿(戦国 趙)(3) 義俠
虞卿(2)はこちら≫
虞卿の行蔵に後進が心うたれるのは、
合従論の立場から連衡論者を論破していった弁士としての活躍よりも、
高い地位や俸禄をなげうってまで、秦の宰相范雎の仇敵魏斉を守ろうとした義俠にあった。
秦に睨まれれば、天下に逃げ場がない。
虞卿は、秦を警戒し、抵抗してきたこともあり、
「つぎは、われかもしれない」
と、魏斉にわが身を重ねながら逃避行したのかもしれない。
中国史人物伝シリーズ
目次
両権を操る
紀元前二五九年、趙が秦に攻められ、首都である邯鄲を包囲された。
趙の宰相である平原君は、夫人の弟にあたる魏の信陵君(公子無忌)を執拗に促して起たせ、
みずからは楚へおもむいて救援を要請するなどして、なんとか秦兵を去らせることができた。
すかさず虞卿は、趙の孝成王に拝謁し、
「一兵も戦わせることなく、一戟をも損なわせることなく二国(趙と魏)の患いを解いたのは、
平原君のお力によるところであります。
ひとの力をお用いになられながら、ひとの功をお忘れになられるのは、よろしくございません」
と、申しあげ、平原君の封地の加増を進言した。
これは弁舌の士らしい狡猾な発言である。
孝成王をうまく説得できれば平原君に貸しをつくることになり、
説得に失敗したとしても平原君に恩を売ることができる。
いずれにせよ、虞卿が名声を得ることになる算段であった。
「いかにも」
孝成王はそう応じ、平原君の封地を加増することに決めた。
だが、平原君は食客の公孫龍にたしなめられて、加増を辞退した。
義 俠
魏 斉
魏の宰相であった魏斉が、虞卿をたよって逃れてきた。
魏斉は、かつて賤臣の范雎を半殺しにしたことがあった。
何とか生命だけはとりとめた范雎が秦へゆき、昭襄王の歓心を得て丞相(首相)になると、
報復を果たさんと執拗に魏斉を追い詰めていった。
魏斉は恐れて趙へ逃げ、平原君のもとに身を寄せた。
秦の昭襄王は范雎に同情し、仇を討たせてやろうとおもい、平原君を秦に招いた。
そうしておいてから、孝成王に書を送り、
「疾く魏斉の首を持てまいれ。さもなくば、兵を挙げて趙を伐たん」
と、脅しつけた。
すると、孝成王は兵を出して平原君の邸を包囲した。
夜陰にまぎれて逃れた魏斉が頼った先が、虞卿であった。
出 奔
強秦の怨みの的となった魏斉にとって、もはや虞卿だけがたよりである。
――われが守ってやらねば。
虞卿は魏斉の窮状を憐れんだ一方、
――とても王を説ける状況にない。
とも判じ、不安そうな表情を浮かべる魏斉に、
「ここにいては危ない。ゆきましょう」
と、声をかけ、万戸侯の地位や卿相の位を惜しげもなく投げ打って、魏斉を連れてひそかに邯鄲から脱出した。
――いずこへまいらん。
虞卿は脳裡で頼れそうな諸侯を探ってみたが、どの国も秦を恐れて匿ってくれそうにない。
一 縷
「楚へ参らん。信陵君を頼るにしかず」
と、虞卿が魏斉を元気づけるようにいった。
そのとき、魏斉の面貌に陰翳が浮かんだが、虞卿はそれに気づくことができなかった。
ふたりは魏の首都大梁に到り、信陵君に面会を求めた。
だが、信陵君はなかなか応じてくれなかった。
「いったん城から出ましょう」
そう魏斉から告げられ、虞卿は郊外へ出た。そこで、
「われはもとより信陵君と隙あり。われのためには動くまじ」
と、魏斉は刀を手にしながらいった。その目には憤怒の色が浮かんでいた。
「いや、食客の中には物わかりのよい者もおります」
という虞卿のことばが終わらないうちに、魏斉は刀でみずからの頸をはねてしまった。
「あっ――」
ほどなくして信陵君が馬車で迎えに来てくれたが、もはや手遅れであった。
虞氏春秋
結局、魏斉の首は秦に渡り、虞卿の胸裡には悔いだけが残った。
――庇い切れなんだ。
魏斉への償いが、失意のうちにあった虞卿を著述に駆り立てた。
春秋時代から近世までを通観して、国家の得失を刺譏(非難)した虞卿の著作は、
『虞氏春秋』
と、後世によばれた。
この書は現存しないが、司馬遷が『史記』を執筆した際に多大な影響を受けたことであろう。
シェアする