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中国史人物伝

躡蹻檐簦して得た尊位を擲ち、義俠に生きた合従論者 虞卿(戦国 趙)(2) 論戦

虞卿(1)はこちら≫

文献における虞卿の記事は、連衡論者との論戦が大半を占める。

合従論をたずさえた游説の士であった虞卿は、

戦国四君のひとりで趙の孝成王の叔父 平原君(趙勝)をたすけ、

秦の謀略から知略の限りをつくして趙を守りぬいた。

なかでも圧巻なのは、楼緩との論戦である。

楼緩は孝成王の祖父武霊王に仕え、秦に送り込まれて丞相(首相)になった。

それから30年を超えてからの話になるため、

真偽のほどは定かではないが、たいへんおもしろい。

(なお、『史記』では趙郝となっている。趙郝の事績については不詳)

秦のために趙に城を割譲させたい楼緩

趙の国益のため秦のもくろみを阻止したい虞卿

時代を代表するふたりの論客が、趙の存亡をめぐり舌をふるった。

揺れる孝成王は、どちらの意見を採るのか――。

中国史人物伝シリーズ

目次

飾 説

秦は長平の戦いに大勝した後、全軍撤退し、趙に使者を遣わして、
「六城を割譲すれば、講和に応じよう」
と、通告してきた。
拒めば、また攻められよう。
趙は対応を決められずにいた。
そこへ楼緩が秦からやってきた。
「秦に城を与えるべきか否か」
「与えるにしかず」
趙の孝成王が楼緩に諮問した内容をきいて虞卿は参内し、
「これ飾説なり」
と、孝成王に申しあげた。
楼緩の意見は見せかけにすぎない、と述べたのである。

秦の自力

「どういうことか」
と、怪訝そうにたずねる孝成王に、虞卿は、
「秦は趙を攻めたものの、攻めあぐねて引き揚げたのでしょうか。
それとも、まだ進軍できたのに、王を憐れんで攻めなかったのでしょうか」
と、問うた。
「秦は全力で攻めてきた。きっと攻めあぐねて帰ったんじゃろう」
「となりますと、秦は自力で攻め取ることができないところを攻めあぐねて引き揚げたのに、
王がそれを献上することになります。これでは、秦を助けてみずからを攻めることになります。
来年、秦がまた攻めてきたら、王には救う手立てがございません」

損して得を取れ

孝成王は虞卿の意見を楼緩に伝え、さらに、それに対する楼緩の意見を虞卿に告げた。
講和しなければ、来年秦はまた攻めてこよう。そうなれば、趙は領地を割いて講和するほかない。
これが楼緩の主張であった。
それなのに、いま講和しても秦がふたたび攻めてこないとは保証を確約できない、ともいう。
そうきかされて虞卿は、
――これでは、秦のいいなりではないか。
と、憤慨し、舌鋒鋭く反駁した。
「いま講和すれば秦がまた攻めてこないことを楼緩が保証できないのでしたら、
割いたとしても何の利益がありましょうや。
来年、秦がまた攻めてきて、秦の力では取ることができないところを割いて講和するのでしたら、
自滅の術計です。講和など、なさらない方がようございます。
秦がうまく攻めたとしても六城を取ることができませんし、
趙は守り切ることができないとしても六城を失うまでには至りますまい。
秦が攻めあぐねて引き揚げれば、兵はきっと疲れておりましょう。
こちらは六城を割いて天下を味方につけ、疲弊した秦を攻めるのです。
これこそが、六城を天下に失いながらも、その償いを秦から取るというものです。
それでもわが国にはなお利がございます。
坐して地を割き、みずからを弱め秦を強くするのといずれがよいでしょうか。
楼緩は、秦が韓や魏と仲よくして趙を攻めるのは、
王が韓や魏ほど秦とのつきあいがよくないからだなどと申したそうですが、
これこそ王に毎年六城を割いて秦に仕えようとさせる腹づもりなのです。
そんなことをしていたら、坐して地が尽きてしまいますぞ。
来年、秦がまた領地の割譲を求めてくれば、王は応じられますでしょうか。
応じなければ、これまで割いた地をふいにして禍を招くことになります。
与えようにも割く地がなくなっておりましょう。
強者は善く攻め、弱者はみずから守ることあたわず、と申します。
いまむざむざと秦のいいなりになれば、秦兵は疲敝せずに多くの地を得ることができます。
これでは秦は強くなり、趙は弱くなってしまいます。
ますます強くなる秦にますます弱くなる趙が地を割くなら、その計は止むはずがございません。
それに、秦は虎狼の国です。礼儀の心など持ち合わせておりません。
その求めはやむことがなく、王の地には限りがございます。
限りある地でやむことがない要求に応じれば、きっと趙はなくなってしまいましょう。
それゆえ、飾説と申し上げたのです。王には絶対にお与えになりませぬよう」

易 道

「わかった」
孝成王が虞卿の説に理解を示すと、こんどは楼緩がそれをききつけて孝成王に謁見し、決断をせまった。
すると、虞卿はまた参内して孝成王に謁見した。
「危ういかな、楼子が秦のためになす計謀は。
趙兵は秦に苦しめられている上に、さらに地を割いて講和すれば、ますます天下に疑われましょうぞ。
それに、どうして秦の好き勝手にさせるのでしょうか。
それこそ趙が弱いことを天下に示すようなものです。
それに、臣がお与えあそばされますね、と申しあげましたのは、どうしても与えてはならない、
というわけではございません。
秦が六城を求めてくるのであれば、王はその六城を斉にお贈りなさいませ。
斉は秦の深讎です。王の六城を手にすれば、力を合わせて西のかた秦を撃ちましょう。
斉が王のお申し出を聴きいれるのは、ことばが終わるのを待ちますまい。
そうなれば、秦から貢物が届き、かえって王に講和を申し出てまいりましょう。
それを聞いて、韓や魏は王を重んじ、宝物を差し出してまいりましょう。
さすれば、王は斉のために失っても、その償いを秦からお取りになられ、
この一挙で三国の親交をお結びになり、秦と立場がいれかわることになります」
「なるほど」
虞卿は孝成王の命で東のかた斉へ行き、斉王に謁見して、秦への対応を謀った。
すると、虞卿が帰国する前に、秦の使者がすでに趙を訪れていた。
これをきいて、楼緩は逃げ去った。

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