秦最後の名将 章邯(秦)(2) 敗戦
章邯は秦王朝で文官として仕えていたが、陳勝らの決起に端を発した王朝滅亡の危機に際し、
二世皇帝(胡亥)に奇策を進言し、囚徒らを率いて叛乱軍を邀え撃つ機会を得た。
章邯は迫りくる叛乱軍を撃破し、敗走する敵兵を追って、ついに首魁の陳勝を誅滅した。
さらに、魏王と斉王を戦死させ、逃げる田栄(斉王の従弟)を追って東阿を囲んだ。
紀元前208年秋7月のことである。
中国史人物伝シリーズ
目次
敗 戦
東阿を包囲した章邯は、
――田栄を救いにくる軍が、あるかもしれない。
とはおもったものの、連戦連勝を重ねた自信からか、
――たれがきたところで、われにかなうものか。
と、高を括り、警戒を怠ったふしがあった。
そのゆるみを、楚の項梁に衝かれてしまった。
章邯にとっては、これがはじめての敗戦となった。
章邯は西南へ敗走し、濮陽の東で項梁のおいである項羽と劉邦の軍に遭い、戦ったものの敗れ、
濮陽へ逃げこんだ。
濮陽は、東郡の治所(郡都)である。
そこに落ち着いた章邯は、濠をめぐらせ、河水(黄河)の水を引いて守りを堅めた。
ほどなく、雨が降りはじめた。
雨はなかなか止まず、何日にもわたって降りつづいた。
項羽と劉邦は城攻めをあきらめ、去っていった。
報 復
長雨の中、章邯は敗卒を集め、態勢を立て直そうとした。
そこでおもいがけぬ吉報に接した。
なんと、二世皇帝が増援部隊を送ってくれたのである。
――これなら、なんとかなろう。
意を強くした章邯は、偵諜を放ち、楚軍の動向をうかがわせた。
「項梁は、定陶にいます」
定陶は、濮陽の東南にある大きな県である。
――項梁は、われらを侮っているであろう。
そう判じた章邯は、得意の夜襲に撃ってでることにした。
濮陽から定陶までは、七十里(約二十八キロメートル)ほどである。
紀元前二〇八年九月、章邯は夜陰にまぎれて定陶へむかい、
口に枚をふくませて楚軍を急襲しておおいに撃ち破り、項梁を戦死させた。
鉅鹿の戦い
「もはや、楚は案ずるに足らぬ」
章邯はそう判じ、兵を北進させて河水(黄河)をわたって趙を攻撃した。
道すがら、趙にそむいた李良の投降をいれてから紀元前二〇七年十月に邯鄲に至り、
その人民をことごとく河内へ移住させて、その城郭を崩した。
そのころ、章邯の陣を勅使が訪れ、
「王離の軍を、支援せよ」
との勅命を受けた。
このとき、王離(王翦の孫)が秦の精兵数十万を率いて趙に侵攻し、
趙王歇や宰相張耳らが逃げ籠もる鉅鹿城を包囲していた。
章邯に下された勅命の主旨は、
――王離軍とともに戦え。
というものではなく、
――王離軍の後方支援にあたれ。
というものであった。
そこで、章邯は鉅鹿の南の棘原に陣取り、河水北岸にまで連なる甬道(両側に土垣を高く築いた道)を築いて、
王離の軍に食糧を運びこんだ。
趙の将陳余や諸侯の軍が鉅鹿を救いにきたものの、
秦の大軍に怖気づいたのか、遠巻きに城を眺めるだけであった。
形勢逆転
――鉅鹿の陥落は、時間の問題であろう。
そうおもわれたが、十二月に、楚の上将軍となった項羽の部将英布らが二万の兵を率いて河水を渡り、
章邯らが築いた甬道を攻撃すると、王離軍への食糧補給が滞りはじめた。
さらに、項羽が五万の兵を率いて河水を渡り、章邯の軍に襲いかかった。
章邯は九たび戦って大敗し、甬道を絶たれ、敗走した。
項羽はその勢いで王離軍にも襲いかかり、一月に王離を生け捕りにした。
強秦の精鋭が、十分の一に満たない東方諸侯の軍に大敗した。
これを境に、秦と東方諸侯の力関係が逆転する。
こうなると、秦の存廃は章邯の双肩にかかっている、といってよい。
章邯は、棘原の陣に逃げ込んだ。
一方、項羽は対岸の漳南に布陣し、漳水をはさんで対峙した。
章邯は陣を堅く守り、戦いをしかけようとしなかった。
それに対し、項羽軍は漳水を渡り、容赦なく章邯の陣に襲いかかってきた。
「退がれ、退がれ」
章邯は、全軍にそう命じるしかなかった。
苦 悶
章邯は、項羽軍と戦っては退却するということをくり返した。
――このままでは、摩耗してしまおう。
そのようなおり、二世皇帝の勅使がおとずれ、
「なにゆえ、逃げつづけるのか」
と、譴責された。
――わが軍が敗れれば、たれが秦を守るというんじゃ。
秦軍が鉅鹿を攻めているあいだに、二世皇帝から絶大に信頼されている宦官の趙高が、
丞相(首相)の李斯を殺し、みずからが丞相になっていた。
「丞相に弁明してもらえまいか」
章邯は、司馬欣を咸陽に遣った。
ところが、司馬欣は逃げるように章邯の陣に戻ってきた。
「どうだった」
と、章邯が訊くと、
「主上への拝謁はおろか、趙高への面会すらかないませんでした」
と、司馬欣は返してきた。
「なんだって――」
章邯は、飛びあがらんばかりに驚いた。
司馬欣はさらに、
「趙高は朝廷で好き勝手しています。将軍は功があっても誅せられ、功がなくても誅せられましょう」
とも告げてきた。
――なんたることじゃ。
章邯は、唇をかんだ。
――そもそも滅亡寸前にまで追い込まれた秦をここまで盛り返したのは、いったいたれのおかげなんじゃ。
かれは、内心でそう吼えた。
だが、このままでは、座して滅びるのを待つだけである。
かといって、趙高の専横がつづく限り、秦朝には章邯の居場所はない。
それでも、賊に降るわけにまいろうか。
これまで章邯は、朝軍の将としての誇示をもって賊軍と戦ってきた。
その功は秦朝で抜きん出ている、と自負している。
それなのに、ここで寝返ってしまえば、大功が水泡に帰してしまうではないか。
外に敵あり、内にも敵あり。
進退窮し、章邯は苦悶した。
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