Blog ブログ

Blog

HOME//ブログ//国を愛し、節義を貫いた古武士 慶鄭(春秋 晋)(2) 死のかたち

中国史人物伝

国を愛し、節義を貫いた古武士 慶鄭(春秋 晋)(2) 死のかたち

慶鄭(1)はこちら>>

晋の大夫慶鄭は、国を憂えるあまり、

恵公の意に沿わない意見をたびたび述べたため、恵公に忌憚された。

それゆえ、隣国秦との戦い(韓原の戦い)をまえに、

「車右は、慶鄭がよい」

という占いがでたにもかかわらず、恵公はそうしなかった。

天罰がくだったのか、戦いで恵公は泥中にはまってしまった。

そこへ通りかかった慶鄭に、恵公は助けを求めた。

だが、慶鄭はそれを拒んだ。

戦況は、兵力でまさる晋が優勢であった。

それを慶鄭が一変しようとしたのは、国を愛するあまりであったのか――。

中国史人物伝シリーズ

目次

敗 戦

晋の大夫韓簡の兵車が、秦の穆公を捕えようとその兵車の間近に迫った。
穆公を捕えれば、戦は晋軍の勝利に終わる。
ところが、慶鄭が韓簡に近づき、
「君をお救いなされよ」
と、大声で告げた。
舌打ちをした韓簡は、目前の勝利を棄て、恵公の救援にむかった。
慶鄭の真意は、どこにあったのか。
ともかくも、穆公は危機を脱した。
一方、恵公は秦の兵車に取り囲まれ、捕えられてしまった。
韓原の戦いとよばれるこの戦いは、秦軍の大勝に終わった。

恵公の帰還

奉 迎

「君がお帰りになる」
晋の首都である絳に、歓喜が湧きあがった。
恵公六年(紀元前六四五年)十一月のことである。
諸大夫は、雪の降りしきるなか、恵公の帰還を待ちわびた。
そのなかに、慶鄭のすがたもあった。
「君が捕えられたのは、なんじの罪じゃ。いま君が来ようとしているのに、なんじはどうして待っているんだ」
隣にいた蛾析が気づかってそうたずねると、慶鄭は胸中にある想いを吐露した。
「軍が敗れれば死に、将が捕えられれば死ぬ、ときく。
そのどちらも行わず、さらに人を誤らせて君を喪わせてしもうた。
三つの大罪があるのに、どこへ逃げようというのか。
君がもし来られるのなら、刑を受けて君のお気持ちを快くしよう。
もし来られないのなら、独りでも秦を伐ち、君を奪い還せなければ、死ぬつもりじゃ。
だから、君を待っておる。臣が亡命し、君に恥をかかせるのは、犯逆じゃ。
君が犯逆すれば国を失うのに、臣下であればなおさらではないか」

覚 悟

十一月丁丑(二十九日)、雪が降りしきるなか、恵公の一行が絳の郊外にあらわれた。
恵公から何ごとか命じられた家僕徒が、平伏する諸大夫にむかって、
「慶鄭、おるか」
と、呼ばわった。
「ここに」
慶鄭はそう応じて、すっくと立った。
「まいれ」
慶鄭は、心配そうな貌をむける蛾析にたいして静かにうなずいてから、恵公のまえに出て、跪拝した。
「鄭よ、罪を犯しながら、まだおったのか」
恵公が、外気に負けないくらいの冷えた声で慶鄭に皮肉を浴びせてきた。
慶鄭は、平然として話した。
「君がはじめに帰国なされたときに秦の恩徳に報いられれば、国勢は下降しなかったでしょう。
国勢が下降しても、諌言に耳を傾けておられれば、戦わなくてすんだでありましょう。
戦ったとしても、良臣を起用なされば敗れなかったでしょう。臣は、これらのことをお怨み申し上げます。
敗戦の後に誅罰を加えようとしたのに、罪有る者を逃してしまえば、国を治めることができません。
それゆえ、臣は君のお帰りをお待ちして刑を受けて、君の政を成そうと存じます」
恵公は、慶鄭が話し終えるまえに、
「処刑せよ」
と、口早に命じた。

死のかたち

「臣下に直言あり、君上に直刑あり。君臣ともにそうすれば、国の利です。
君が処刑なされなくても、必ず自殺いたします」
慶鄭の覚悟のことばに、蛾析がたまらず、
「臣は、みずから刑を受けようとする臣下は、罪を赦して讎に報いさせるのがよい、と聞いております。
君はどうして慶鄭をお赦しになって、秦に報復させないのですか」
と、口ぞえをした。しかし、梁由靡が、
「いけません。われにできるなら、どうして秦にできないことがありましょうか。
それに戦って勝てないのに、賊を使って報復するのは、武ではございません。
国を出て戦って勝てず、帰国しても不安なままなのは、智ではございません。
和睦をしたのに背くのは、信ではございません。刑罰を誤り政治を乱すのは、威ではございません。
国外で起用できず、国内を治めることができないようでは、国を敗ることになりましょう。
処刑するのがよろしい」
と、主張すると、恵公も、
「斬れ。自殺させてはならぬ」
と、同調した。
すると、家僕徒までもが慶鄭に同情し、
「怨まない君がおり、刑死する臣がおれば、処刑するよりも令聞を得られましょう」
と、助命を嘆願した。
しかし、梁由靡はあくまで慶鄭の処刑を主張した。

政と刑

「君には政と刑があり、これによって人民を治めます。
命令を聞かないで勝手に進退するのは、政を犯すものです。
意を満たすために、君を喪うのは、刑を犯すものです。
慶鄭は逆賊であり、国を乱しましたから、逃してはなりません。
それに戦場で勝手に退却して自殺をするならば、臣はそれで気が済みますが、
君は刑を失うことになり、その後起用できなくなりましょう」
梁由靡は、韓原の戦いで韓簡の兵車の御者をしており、もう少しで穆公を捕えることができたところ、
慶鄭のせいで取り逃がした。その後悔から、慶鄭に憎悪の念を抱いていた。
慶鄭に対する怨みでは負けない恵公は、
「説よ、鄭はいかなる罪に当たろうか」
と、司馬(軍中の刑をつかさどる官)の説に諮うた。

断 首

説は、三軍の兵士を前に進め、
「戦前に布告した軍令によれば、鄭には四つの罪がある」
と、断じ、
「隊列を乱して軍令を犯したのが、その一。勝手に進退したのが、その二。
梁由靡を誤らせて秦公を逃がしたのが、その三。君が捕えられたのに、顔に傷がないのが、その四」
と、慶鄭を責めたて、
「鄭よ、刑を受けよ」
と、断罪した。
「説よ、三軍の兵士がみなここにおり、座って刑を待つことができるのに、
どうして顔に傷をつくることができないということがあろうか。速やかに刑を執行せよ」
この発言は、理不尽な罪を受けることへの慶鄭なりの諧謔であったかもしれない。
雪原を、鮮血が染めた。

最期までおのれの道を貫き通した慶鄭にとって最大の不幸は、
おのれのことを理解してくれる君主を戴くことができなかったことにあったろう。
――われはこの程度で終わる男であったろうか。もっとできたはずだ。
これが、慶鄭の心の声であったかもしれない。
もし生きた時代がずれて、すぐれた主君に仕えていたならば、慶鄭は忠臣として讃えられていたかもしれない。

SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧