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中国史人物伝

東海に奏でた琴の音 鄒忌(騶忌)(戦国 斉)(2) 二つの貌

鄒忌(1)はこちら>>

斉の威王の琴の師から宰相に抜擢された鄒忌は、

かれは八尺(約180cm)を超える長身の持ち主で、

おのれの容姿に見惚れてしまうほどのナルシストであった。

かれは賢主を説伏させるほどの巧言を弄し、

他者を恍惚とさせるほどの美貌という”表の貌”と

敵対者は絶対に許さないという”裏の貌”

を使い分けながら廟堂の首座を保ち続けた。

中国史人物伝シリーズ

目次

二忌相克

鄒忌と田忌は、たがいに嫌いあっていた。
「何とかならぬか」
鄒忌が公孫閈(公孫閲とも)にそうこぼすと、
「どうしてあなたは王のために魏を伐つようお謀りにならないのですか」
と、返された。
「魏を伐つだと――」
あまりに奇抜な発想に、鄒忌は頓狂な声をたてた。
「勝てば、策を的中させたあなたの功になります」
「敗れたら」
「魏に敗れ、田忌が生きて帰ってくれば、誅すればよいのです」
「なるほどな」
勝っても負けてもおのれの利になるという。
鄒忌はまんざらでもない表情で威王に拝謁し、
「魏を伐つべきです」
と、説いた。
威王はこれを容れ、田忌に魏を伐たせた。
田忌は魏と三たび戦い、三たび勝った。
鄒忌がこれを公孫閈に告げたところ、公孫閈は市中に人を遣り、
「われは田忌の家のものじゃ。われは三戦三勝し、その名を天下にふるわせた。
そこで、大事をなそうとおもうが、吉であろうか」
と、卜者に問わせた。
占いが終わると、鄒忌はふたりを捕らえて王宮へ連行し、威王にことの次第を話させた。
「田忌将軍の叛意は、明らかでございます」
鄒忌が、すかさず威王の耳にそう吹きこんだ。
――君側の奸を誅す。
田忌は鄒忌の策謀を知ると、そう称して臨淄を攻めた。
しかし、都城を陥とすことができず、楚へ亡命した。

二忌の効用

田忌が楚へ亡命してからというもの、鄒忌が琴を奏でても、音が乱れることがたびたびであった。
――田忌が楚の後援を受けて斉に復帰してこないであろうか。
これがかれの気がかりであった。それを察し、
「ひとつ君のために田忌将軍を楚に抑留させてみせましょう」
と、申し出たのは、楚の杜赫であった。杜赫は楚へゆき、
「鄒忌が楚を快くおもわないのは、田忌が楚の後押しで斉に帰るのを恐れているのです。
王は田忌を江南に封じ、斉へ返さないことをお示しになさいませ。
鄒忌はきっと斉を挙げて手厚く楚に仕えましょう。田忌は亡命先で封地を得られれば、
きっと大王に恩を感じましょう。もし斉に戻れば、きっと斉を挙げて楚に仕えましょう。
これが二忌を用いる道でございます」
と、楚王を説いた。
「なるほどのう」
楚王はこれを容れ、田忌を江南に封じた。
――田忌は、楚に落ち着いたか。
それから、鄒忌は安らかな気持ちで琴をかき鳴らすことができるようになった。

戦勝於朝廷

鄒忌は八尺(約百八十センチメートル)を超える長身に端麗な容姿をそなえ、
自他ともに美しいと認めていた。
鄒忌が朝服を着て、冠をつけてから鏡をのぞきこみ、
「われと城北の徐公とでは、どっちが美しいかな」
と、妻に訊いた。城北の徐公は、斉で評判の美丈夫であった。
「あなたの美しさはずば抜けています。どうして徐公があなたにかないましょう」
妻はそう応えたが、鄒忌は信じられず、こんどは妾に、
「われと城北の徐公とでは、どっちが美しいか」
と、訊いた。
「どうして徐公があなたにかないましょう」
妾の応えも、おなじであった。
翌朝、客人が訪ねてきた。
「われと城北の徐公とでは、どっちが美しいか」
歓談中に、鄒忌がそうたずねると、
「徐公じゃあなたにかないますまい」
という応えが返ってきた。
その翌日、徐公が鄒忌を訪ねてきた。
鄒忌は、面前の徐公をつらつら視て、
――とてもかなわん。
と、おもった。
鏡をのぞきこんでよく確かめてみると、やはりとてもかなわない。
――それなのに、なにゆえみなわれのほうが美しいというんじゃ。
夕に寝ながらそのことを考えて、
妻はわれをえこひいきしたんじゃ。妾はわれを畏れたんじゃ。客はわれに求めたんじゃ。
ということに、はっと想到した。
――臣下でさえそうなんじゃから。
翌朝、鄒忌は入朝すると、さっそく威王に拝謁してこのことを言上し、
「いま、斉の地は方千里、城は百二十もございます。側近や宮女たちで王に媚びぬ者などおらず、
群臣で王を畏れぬ者などおらず、四境のうちで王に何かを求めようとしないものなどございませぬ。
そうしますと、王の耳目はひどくふさがれておいでです」
と、説いた。
「なるほど」
血の巡りがよい威王はそう唸り、さっそく令を発した。
「群臣吏民で、面とむかって寡人(諸侯の一人称)の過ちを指摘できた者には、上賞を授けよう。
上書して寡人を諫めてくれた者には、中賞を授けよう。
市や朝廷で非難して、寡人の耳に入れることができた者には、下賞を授けよう」
群臣がこぞって諫言を呈し、朝廷は市のようににぎわった。
ところが、諌言を呈する者の数は日に日に減ってゆき、一年後にはいなくなった。
燕・趙・韓・魏はこれを聞いて、斉に入朝した。

孝子の数

威王の死後も鄒忌は宰相として王位を襲いだ宣王を輔け、息のかかった者を多数推挙した。
――鄒忌は、朝廷で徒党を拡げんとするか。
宣王はそう察し、不快がる一方、
――それにひきかえ、晏首は。
と、高位にありながら推挙を控えていた晏首に好感をいだいた。
――このままではまずい。
と、不安にかられた鄒忌が、
「孝行息子がひとりいるより、孝行息子が五人いる方がよい、といいます。晏首は何人推挙しましたか」
と、たずねたところ、
――晏子は、仕官の道を塞いでおるのじゃ。
と、宣王はおもい直すようになった。
「物は言いよう」
と、いったところであろうか。

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