筹策多く威名あれども循行なし ローマ兵と戦った(⁉)名将 陳湯(前漢)(2) 郅支城
陳湯は若いころから書を好み、博学であったため、朝廷に推挙された。
しかし、就官してもその素行の悪さゆえ出世できなかった。
そこで、陳湯は外国へ遣わしてもらえるよう願い出た。
その希望がかない、西域副校尉(西域統括副長官)に任じられ、西域におもむいた陳湯は、
建昭3年(紀元前36年)、漢に順わない西匈奴の郅支単于の征討を
西域都護(西域統括長官)の甘延寿に進言した。
甘延寿はそれを容れ、朝廷の許可を得てから出師しようとした。
これに対し、陳湯はすぐさま出兵するよう主張し、
勅命を矯めいつわって四万を超える兵を徴発し、郅支単于の居城 郅支城へむけて進発した。
中国史人物伝シリーズ
目次
緒 戦
甘延寿は六校をふたつに分け、三校に南道を取らせ、葱嶺(パミール高原)を越えて大宛へむかわせ、
甘延寿みずから残る三校を率いて北道を取り、
西域都護府(烏塁城)の西にある温宿国(新疆省の西南)から烏孫の首都である赤谷に入り、
西北に進んで康居にはいり、闐池(伊塞克湖)の西に至った。
これに対し、康居の副王抱闐は数千騎を率いて赤谷城の東に侵寇し、千余人を殺害し、畜産を駆逐した。
さらに、後方から漢軍に追いつき、その輜重を大量に寇盗した。
陳湯は胡兵をさしむけて抱闐の軍を攻撃して撃ち、四百六十人を殺し、
敵が拉致した烏孫の民四百七十人を大昆彌(烏孫の王)に還し、その馬、牛、羊を軍食に供給した。
さらに、抱闐の貴人伊奴毒を捕らえた。
康居の貴人
陳湯は、康居の東境にはいると、全軍に命令し、略奪を禁じた。
そして、郅支単于を怨む康居の貴人屠墨をひそかに呼び出して会見し、
漢の威信を諭し、ともに酒を飲んで盟った。
その後、ただちに軍を進め、
郅支単于の居城である郅支城から六十里(約二十四キロメートル)ほど手前のところで宿営した。
また、康居の貴人貝色の男子開牟を捕らえて郷導させた。
貝色の子は、すなわち屠墨の母の弟で、みな郅支単于を怨んでおり、
これにより郅支単于の情況をつぶさに知ることができた。
宣戦布告
つぎの日、陳湯はさらに軍を進め、郅支城から三十里(約十二キロメートル)のところで宿営した。
郅支単于の使者がやってきて、
「漢兵は、何をしにきたのか」
と、問うてきた。
「単于の上書に、困厄しているゆえ、漢に帰服して朝見したい、とありました。
天子は単于が大国を棄て、意を屈して康居におられることを哀しみ閔れまれ、
単于とそのご家族をお迎えしようと都護将軍をさしむけられました。
ですが、左右の方がたをおどろかせてしまうことを恐れ、あえて城下に至るのをひかえておるのです」
甘延寿と陳湯がそう返書すると、漢軍と郅支城のあいだで、使者の往来がいくたびかおこなわれた。
しかし、郅支単于が貴人をよこしてこないので、甘延寿と陳湯は、
「われらは単于のため遠方からやってきたのに、
いまになっても名王や大人をよこして漢の将軍に面会させようとしない。
どうして単于は大計をゆるがせにして、主客の礼を失するのか。
兵は遠い道のりを踏破し、人畜は疲れきり、食糧と用度はまさに尽きようとしており、
おそらく自力で還ることもできそうにない。
願わくは単于におかれましては、大臣と策をお計りくださいますよう」
と、せめた。
魚鱗の陣
つぎの日、さらに前進して郅支城の付近を流れる都頼水のほとりに至り、城から三里のところに陣を布いた。
城を望見すると、五采の幟旗がならべられ、数百人の甲兵が城にのぼり、百余の騎兵が城下を馳せて往来し、
歩兵百余人が城門をはさんで魚鱗のように布陣し、練兵していた。
「来るなら、来い」
城の上にいた兵士たちが、かわるがわるそういって、漢軍を挑発した。
漢軍の百余騎が馳せて城に近づくと、敵兵がみな弩を張り満を持してねらってきたので、引き返した。
こんどは、漢が大軍をさしむけて城門付近に群がる騎兵と歩兵を射させると、敵兵はみな城内に引っ込んだ。
「太鼓の音がすれば、一斉に城下にせまれ」
甘延寿と陳湯は全軍にそう命じ、四面から城を囲み、手わけして守らせ、
塹壕を掘り、門戸を塞ぎ、大楯を前に、戟や弩をうしろにして楼上の兵を射た。
すると、楼上の兵は楼下へ逃げていった。
土城の外に二重の木城があり、敵兵は木城の中から矢を射て、漢軍は多大な殺傷者を出した。
そこで、漢兵は薪をもち出して木城を焼いた。
すると、夜に数百騎が城外に出てきたので、漢軍はこれを射殺した。
決 戦
郅支単于は甲をまとって楼上におり、
閼氏(単于の正妻)や夫人たち数十人もみな弓矢をとって城外の漢兵を射た。
漢兵も矢を射て、郅支単于の鼻に命中させた。
夫人たちの多くが死に、郅支単于は楼下におりていった。
夜半すぎに木城に穴があき、木城の中にいた敵兵が土城の中にしりぞき、城の上にのぼって何事かを叫んだ。
これに、漢軍に混じって四面から城をとりまいていた康居の兵が呼応した。
明け方に四面から火の手があがると、吏士は喜び、大呼してこれに乗じた。
「いまだ、かかれ」
と、陳湯が命じると、鉦と太鼓の音が地をどよめかせた。
康居の兵が引きさがり、漢兵が四面から大楯を推し進め、ならんで土城の中に入っていった。
城内の兵は、われ先にと争って逃げ出した。
漢兵が火を放つと、吏士は争って城内に突入し、郅支単于は負傷して死んだ。
軍候仮丞の杜勲が郅支単于の首を斬り、漢の使節や谷吉らが与えた幣帛や書翰を取り戻した。
鹵獲物は、得た者にそれぞれ与えた。
閼氏、太子、名王以下千五百十八人の首を斬り、百四十五人を生け捕り、千余人が投降した。
捕虜を、従軍した城郭諸国の十五王に分け与えた。
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