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HOME//ブログ//中隠を志向した閑居の達人 陶淵明や李白とならぶ飲酒詩人にして平安文化の恩人 白居易(白楽天)(唐)(7) 琵琶行

中国史人物伝

中隠を志向した閑居の達人 陶淵明や李白とならぶ飲酒詩人にして平安文化の恩人 白居易(白楽天)(唐)(7) 琵琶行

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白居易は諷諭詩により政事への批判を展開していたため、重臣らの心証を悪くしていた。

そのため、宰相武元衡の暗殺にかこつけて、江州へ貶謫させられてしまった。

失意のなかで記した「元九に与うる書」において、白居易は自身の詩を

「諷諭」「閑適」「感傷」「雑律」

の四つに分類し、「諷諭」こそが『詩経』の精神と伝統を継承するものであると位置づけ、

閑適がそれに次ぎ、あとのふたつは、

「僕の軽んずる所」

と、一蹴した。

だが、自身の評価とは異なり、人口に膾炙したのが、

「感傷」に属する『長恨歌』や「雑律」であったことは、皮肉としかいいようがない。

しかも、白居易はその後、諷諭詩を詠まなくなり、雑律詩を詠むことが多くなった。

世情の変化に、さすがの白居易も、これまで通り諷諭詩を作れなくなったのであろうか。

中国史人物伝シリーズ

白居易(1) 寒門
白居易(2) 科挙
白居易(3) 仕官
白居易(4) 長恨歌
白居易(5) 順風

目次

琵琶行

元和十一年(八一六年)の秋のある日の夕刻、
白居易は訪ねてきた客を送って、潯陽の渡し場である湓浦にゆき、潯陽江を船で渡った。
舟上に流れる琵琶の調べに、
――何だかみやびた感じがするな。
と、感じた白居易が、
「お国は、どこじゃ」
と、奏者の女人に問うたところ、
「まえは京城(長安)で倡女(倡妓)をしておりました。教坊(教習所)の第一部に属しておりました」
と、返してきた。
「それがなにゆえこんなところで」
かの女がいうには、
長安にいたころは琵琶の弾き語りで他の追随を許さないほどの人気と実力を兼ね備えていたものの、
年が長け、容色が衰えるにつれ冷落し、賈人の婦になって江州へ落ちてきたという。
それをきいて、
――とても他人事にはおもえん。
と、感じた白居易は、自分の身上をかの女に重ね合わせながら、琵琶の音に合わせて詩を作った。
この詩が、『長恨歌』とならぶかれの代表作『琵琶行』である。

草 堂

男児のいなかった白居易は、弟の白行簡の子亀児を引き取り、養育していた。
元和十一年(八一六年)の夏ごろに、
兄の白幼文が一族で孤児となっている者六、七人を連れて白居易のもとに身を寄せ、
さらに妻が次女の阿羅を生み、にわかに賑やかになった。
四十五歳の白居易は、金鑾の死から五年が経っての実子の誕生を喜ぶ一方、
――静かなところで思索にふけりたい。
と、望むようになり、廬山に出向くことが多くなった。
廬山の北峰は、香鑪(香炉)に似た形状をしていたところから、
香鑪峰
と、呼ばれる。白居易は、その北にある遺愛寺の傍に、
――これは。
と、おもえる風景を有す地をみつけ、
「ここに草堂を建てよう」
と、思いたち、建築にとりかかった。
翌年(八一七年)の晩春に完成した「五架三間」の小さな堂で、白居易は酒を飲み、詩を詠んだ。
この年の末に白行簡が官を辞し、家族を連れて江州の白居易のもとに転がり込んだ。
兄弟の家族をかかえ、生活が苦しくなってきたところで江州に来てから四年目を迎えた白居易のもとに、
長安からの辞令が届いた。

瘴煙に入る

元和十三年(八一八年)四十七歳の年が暮れる十二月二十日に辞令を受けた白居易は、
――京都にもどれる。
と、期待したが、
「忠州の刺史に任ず」
というものであった。州刺史になったのであれば、もはや罪人ではないが、
長江の上流にある忠州は江州より悪地であり、
――瘴煙(南方特有の瘴気)に入るのか。
と、おもうと、素直には喜べなかった。
それでも、辞令を受けた二日後に、白居易は白行簡ら同居の親族を伴ない江州を発った。
長江をさかのぼる舟上で新年をむかえた白居易は、長江を下っていた元稹と三月三十一日に峡州で遭い、
舟を夷陵に停め、四年ぶりの再会を喜び、語りあった。
通州の司馬であった元稹は、虢州の長史に転じていた。
長安に近い虢州への転任は、半ば返り咲いたといえよう。
ともに辛酸を舐めつくしたふたりの話は竭きず、三宿をともにし、再会を約して別れた。

歩東坡

白居易は忠州に赴任すると、東坡に好きな花樹を植えはじめた。
東向きの斜面といった程度の意味で使った
「東坡」
という語が、のちに白居易を敬慕した蘇軾が号に用いたことで人口に膾炙したのはたいへんおもしろい。
刺史とは名ばかりで特段の仕事がなかった白居易は、朝な夕な杖を手に東坡へおもむき、
意のままに栽えた樹に花が咲き、鳥や蝶が飛んでくるのを観るのを楽しむうちに、
青蕪(草)が白路をなしてしまっていた。

復 帰

元和十五年(八二〇年)の夏、忠州にきてから二年目を迎えた四十九歳の白居易は、
都にもどるよう命じられた。
――この日がくるのを、どれほど待ち望んだことか。
東坡に植えた花樹に別れを告げ、忠州を去った白居易は、六年にわたる流謫からようやく復帰を果たした。

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