劉向の子で王莽の腹心として新の国師になった古文派の儒学者 劉歆(劉秀)(前漢・新)(1) 七略
周代を理想とし、復古主義的な政治をおこなった。
高名な儒家であった
劉歆(あざなは子駿)(?-23)
は、漢の宗族でありながら王莽の腹心として、かれの政策を思想的見地から保証した。
諸子百家の分類を行い、『戦国策』を編纂した劉向を父にもち、
父の事業をついで『七略』なる図書目録を完成させた劉歆の業績は、
父に劣るどころか、後世への影響でみれば父を上回ったといえよう。
中国史人物伝シリーズ
目次
好学の家柄
劉歆は劉向の三男で、高祖(劉邦)の同父弟である楚王劉交の六世の孫にあたる。
劉交から劉歆までの世系を、以下に列挙してみる。
劉交
劉富(紅侯)
劉辟彊
劉徳(宗正、陽城侯)
劉向(劉更生)
劉歆(劉秀)
無学を売り物にしていた感のある兄の劉邦と違って、
書を好んだ劉交の影響もあり、かれの子孫はみな好学であった。
昭帝のとき、霍光が宗室の人物を朝廷に登用した際に、劉辟彊と劉徳の父子が任用され、ともに宗正となった。
劉徳の次子劉更生(劉向)は、十二歳で郎官となって宣帝の左右に侍り、
甘露三年(紀元前五一年)に開かれた石渠閣(宮中の図書館)会議に加わるなど、
二十歳代ながら書に通じた学者として高名を得た。
宣帝が崩じ、元帝が即位すると、遺詔により新帝の輔佐をすることになった蕭望之の推挙で散騎宗正になり、
ともに輔政をおこなったが、宦官弘恭や外戚許氏らとの争いに敗れて投獄され、免職となった。
後に元帝が崩じて成帝の御世になると弘恭らが失脚し、劉更生はふたたび任用された。
このとき、名を向に改めたかれは、光禄大夫、中塁校尉(北軍の責任者)と累進した。
また、詔により、宮中の蔵書を校勘するよう命じられた。
そのような碩学を父にもつ劉歆は、少くして『詩』や『書』に通じ、
文辞に巧みであったことから成帝に召見されて、黄門郎になった。
このときに王莽と同僚になったことが、かれの生涯を左右することになる。
今文と古文
儒学の書籍は、秦の始皇帝が焚書坑儒を断行したことで焼失してしまった。
秦の学者たちは、漢に仕えるようになると、おのれの記憶をもとに隷書で儒学の経書を復元した。
秦以前の篆書で書かれた経書が「古文」と呼ばれたのに対し、
漢代の隷書で書かれた書物は「今文」と呼ばれた。
武帝は儒学の基本経典『易』『書』『詩』『礼』『春秋』を五経として定め、
五経を講じる学者として五経博士を任じた。
むろん、五経の教科書は今文であった。
一方、このころ、各地から戦国時代の篆書で書かれた木簡や竹簡が発見された。
壁に塗り込まれていたため、焚書を免れたものである。
その内容は、宮中の蔵書と異同があった。
そこで両者の相違を校訂し、定本を作成することになった。
成帝の命を受け、その任に当たったのが、劉向であった。
七 略
劉歆は成帝の詔を受けて父とともに校秘書になり、
父が進めていた秘府(宮中の書庫)にある図書の整理事業に加わり、諸子百家の分類をおこなった。
綏和元年(紀元前八年)に劉向が死去すると、中塁校尉の地位とともに、
父の事業をついで『七略』を完成させた。『七略』は、
輯略
六芸略
諸子略
詩賦略
兵書略
術数略
方技略
から成る図書目録で、中国の経籍目録学の嚆矢となった。
劉歆の著作そのものは現存しないが、班固が著した『漢書』芸文志に取り入れられて今日に伝えられている。
『左伝』を修む
劉歆は校秘書として宮中の図書を管理するなかで、
『春秋左氏伝』『毛詩』『逸礼』『古文尚書』など古文で書かれた書物をみつけ、
——これこそが真の道のすがたを伝えたものじゃ。
と、感嘆した。
ときの丞相史の尹咸が『春秋左氏伝』に通じており、劉歆とともに経伝を校訂した。
劉歆は尹咸と丞相の翟方進から『春秋左氏伝』を伝授されて、これを修めた。
『春秋左氏伝』は古字や古言が多く、学者は訓詁(字句の解釈)を伝えるだけであったが、
劉歆は『春秋左氏伝』を修めると伝文をひいて経を解いた。
これにより、章句の義理(正しいすじみち)が備わった。
古文の顕彰
成帝が崩じ哀帝が即位すると、劉歆は大司馬の王莽に推挙されて侍中、太中大夫になり、
その後、騎都尉、奉車都尉、光禄大夫に遷任された。
そして、哀帝に親近されるようになると、
——『春秋左氏伝』『毛詩』『逸礼』『古文尚書』を学官に立てたい。
と、かれは望むようになった。
学官に立つとは、諸学派の中から選ばれた博士が伝承した経典を教科書として大学で講義することをいう。
当時学官に立てられていた『春秋』は、『春秋公羊伝』であった。
左丘明(『春秋左氏伝』の著者)は聖人(孔子)と好悪を同じくし、夫子(孔子)と面晤したが、
公羊(『春秋公羊伝』の著者公羊高)は七十子の後(孔子の孫弟子)でしかなく、
伝聞と親見では詳略(精粗)が違う。
それゆえ、学官に立てるべきは『春秋左氏伝』である。
劉歆は強くそうおもった。
古文を学官に立てるべきか否か。
哀帝は、五経博士と講論する場を劉歆に与えてくれた。
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