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中国史人物伝

蜀学の名士ながら聾と称して劉備玄徳や諸葛亮孔明の誘いを拒んだ季漢の隠士 杜微(三国 蜀)

前漢の景帝のときに蜀郡太守になった文翁が学校をひらいて

儒学を振興し、教化を推進してから、蜀では学問がさかんになった。

その風俗は三国時代になっても変わらず、譙周ら数多の学者を輩出した。

また、中国では、

古来より俗世の汚濁を避け、野に隠れてひっそりと暮らす隠者が尊ばれてきた。

三国時代における隠者は、竹林の七賢がよく知られるが、蜀においては、

杜微(あざなは国輔)

の名が挙げられよう。

蜀学の系譜に連なる名士でありながら出仕を拒み、野に隠れたかれを、

丞相(首相)の諸葛亮孔明は敬重しつつも、何とか幕下に引きいれようと試みたほどである。

中国史人物伝シリーズ

陳寿の師 劉禅に降伏を勧めた博識の儒者 譙周

目次

聾を称す

杜微は、梓潼郡涪県の大姓の出身であった。
広漢郡の儒士 任安から学問を授かった後、
益州牧(州の長官)の劉璋に辟かれて従事(補佐官)となったが、
病と称して官を去った。
劉備が益州を平定すると、杜微はつねに、
「聾(耳が聞こえない)」
と、称して邸の門を閉じ、外出をひかえた。

孔明の誘い

建興二年(二二四年)に、丞相の諸葛亮が益州牧を兼ねると、主簿(庶務課長)に任じられた。
杜微は固辞したが、輿に乗せられて成都に連れていかれた。
杜微は、成都に至ると、諸葛亮に面会し、
「老いて病んでおりますゆえ、帰らせていただきとう存じます」
と、乞い求めた。
諸葛亮は、杜微が耳が不自由であるというので、書をしたためて応えた。
「曹丕が君(後漢の献帝)を弑し、みずから皇帝になりました。
これは、土龍(雨乞いに用いる土製の龍)や芻狗(祭祀に用いるわらでできたいぬ)
が名ばかりでしかないのとおなじようなものです。賢人たちとともに正道でもって邪な偽帝を滅ぼしたい。
そうおもうておりますのに、君からまだご教誨をたまわらぬうちに、
山野に還りたい、などと申されることを怪訝におもいます。
曹丕はおおいに労役をおこして、呉、楚にむかおうとしています。
いま、曹丕が多忙なすきに、国境を閉じて農耕につとめ、民力を養うとともに軍備を整え、
曹丕が挫けるのを待ってからこれを伐つならば、
兵を戦わせず、かつ民を労せずに天下を定めることができましょう。
あなたはただ徳をもって輔けていただけますればよろしいのでございまして、
軍事の責めを負わせるつもりはございません。
どうしてそんなに汲汲として(あわてて)去ろうとなさるのでしょうか」
けっきょく、杜微は諫議大夫を拝命した。
閑職ともいえる職をあてがわれたのは、諸葛亮が杜微の意を汲んだ結果である。

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