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中国史人物伝

善は衆の主 苦悶の宰相 欒書(欒武子)(春秋 晋)(11) 密謀

欒書(10)はこちら≫

厲公の寵愛を受け、栄華を誇っていたはずの郤氏が、

厲公に猜疑の目を受けられると、一転して族滅の憂き目に遭った。

独裁色を強める厲公が次に標的にするのは、宰相の欒書にほかならない。

欒書は尊大な厲公を見限り、孫周を国君に立てようと策をめぐらせはじめた。

もはや、両者がならび立つことなど、あり得ない。

尊大な暗君と老功な宰相、天はどちらに与するのであろうか。

中国史人物伝シリーズ

欒書(1) 邲の戦い
欒書(2) 善は衆の主
欒書(3) 揺蕩
欒書(4) 不戦条約
欒書(5) 苦悶
欒書(6) 内憂外患
欒書(7) 六間
欒書(8) 鄢陵の戦い
欒書(9) 福禄

目次

死の恐怖

「君に、賊を平定する聴許をいただかねば」
欒書は参内する途中で荀偃に会い、今後の対応について話しあいながら宮中へむかっていると、
いきなり甲士に囲まれ、
「謀叛の首魁めが、のこのことあらわれてきおったな」
と、胥童から声を浴びせられ、捕らえられてしまった。
――殺される。
厲公からあんなに寵愛されていた三郤でさえも、ひとたび憎まれてしまえば殺されたのである。
君にとって疎ましい存在でしかないわれなどは、ひとたまりもない。
欒書は、死を覚悟した。
ほどなく厲公の使者がやってきて、
「寡人(諸侯の一人称)は郤氏を討伐し、郤氏はすでに罪に伏した。
大夫はこれを恥辱とおもわずに、もとの職位に戻ってもらいたい」
と、厲公の命を告げてきた。ふたりは再拝稽手し、
「君は罪ある者をお討ちになられ、臣を死から免れなさいました。
これは君のお恵みです。死んだとしても、どうして君のご恩を忘れましょうや」
と、謝辞を述べた。とはいえ、生命拾いした、などと安堵することなどできなかった。
こたびは宥免してもらえたが、こうしている間にも、
胥童ら寵臣は、難癖をつけてわれを殺害する機会をうかがっていよう。
そうおもうと、気が気でならなかった。
欒書は邸へ帰ると、病と称して出仕をひかえた。

叙 任

厲公は、楚の公子茷を釈して帰国させるとともに、
誅殺した三郤がいた席に、三郤討伐に功のあった寵臣を据えた。
卿の序列は、つぎのようになったと推察される。
中軍 将 欒書  
上軍 将 胥童  佐 荀偃
下軍 将 韓厥  佐 荀罃
新軍 将 夷陽五 佐 清沸魋
荀偃を上軍の佐としたが、もしかすると、厲公が罪滅ぼしとして中軍の佐に昇進させたかもしれない。
また、空席がひとつあるが、ここには三郤を殺した長魚矯が名を連ねるべきであろう。
だが、長魚矯は、厲公が欒書と荀偃を釈したことに呆れ、厲公を見限って出奔した。
――あほらしい。
叙任をきき知って、欒書や荀偃らは、小人にならぶことを恥じ、病と称して出仕をしなくなった。
それをよいことに、胥童らは厲公の寵愛を背に専横にふるまった。

密 謀

厲公七年(紀元前五七四年)は、十二月に閏月を置いていた。歳末間際に、欒書は、
「君が、匠麗氏の邸へ行幸なされた」
という話を耳にした。
匠麗氏は厲公の寵臣で、その邸は旧都の翼(故絳)にあった。
翼は、晋の首都である新田から九十里(約三十六キロメール)ほど離れている。
当時、一日で進める距離は三十里程度であった。
そのこともあり、厲公は遊びに出て何日経っても帰ってこない。
厲公のいない絳で、欒書はひそかに荀偃に会った。
「胥童らの讒言はますますひどくなっているらしい。このままでは、三郤のようにならないともかぎらん」
「ならば、君がおらぬいまが好機よ」
「君を弑するというのか……。われらだけでは心もとない」
「では、他家に声をかけよう」

助力を拒む

欒書は次卿であった士燮とともに国事にあたってきて、子の士匄に代が代わっても両家には交誼があった。
そこで、欒書は、
「士匄を呼んでまいれ」
と、家臣に命じた。ところが、
「君に戈矛をむけるわけには参らぬ」
と、士匄に助力を拒絶された。
――豎子めが。
欒書はあてが外れて舌打ちしてしまったものの、気を取り直して、
「ならば、韓厥を呼んでまいれ」
と、別の家臣を遣った。ところが、韓厥も助力を拒んだ。
「君を弑して威を求めることなど、われにはでき申さぬ。威が行われば不仁であり、失敗すれば不知です。
一利を得て一悪を得るようなことを務めてはなりません。われはむかし趙氏に仕えておりましたが、
孟姫(趙荘姫)の讒言で趙氏が滅ぼされた際、われは何とか難を逃れました。
老牛を殺すのにみずから手を下してはならぬ、と古人の言にあります。
ましてや君に対してはなおさらでしょう。
君にお仕えすることができないでいるあなた方が、どうしてわれを用いようとするのですか」
これが、韓厥の言い分であった。
――あなたはかつて趙氏誅滅に加担したでしょう。
と、韓厥は欒書を詰ってきたのである。

身果辞順

「きゃつを攻めましょう」
と、荀偃が息巻いたが、
「それは、なるまいよ」
と、欒書は制止した。不満げな目をむける荀偃に、
「行動が果断で、ことばは順当である。
順当であれば実行されないことはなく、果断であれば成し遂げないことなどなかろう。
順当を犯せば不祥であり、果断な者を伐っても勝てないであろう。
果断に行動し、順当に事をおこなえば、人民は犯さぬ。かれを伐つことはできぬ」
と、欒書は諭した。そのことばの裏には、
――ことがうまくいき、新君を立てることになれば、たれが輔佐をおこなうのか。
という深慮もあった。
荀偃がそこまでくみ取れたかどうかはわからないものの、
「わかった。韓厥は伐たない」
と、物わかりの良さをみせた。そこで、欒書は、
「われらだけでも、なさねばならぬ」
と、荀偃に告げると、手勢を翼へ遣り、厲公を襲った。

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