中隠を志向した閑居の達人 陶淵明や李白とならぶ飲酒詩人にして平安文化の恩人 白居易(白楽天)(唐)(10) 中隠
白居易が活躍した官界において、宰相に昇るには、
まず進士科の試験に合格して秘書省校書郎(正九品上)になり、
畿県の尉(正九品下)
御史台の監察御史(正八品上)
中書省または門下省の拾遺(従八品上)
尚書省の員外郎(従六品上)
中書舎人(正五品上)
中書侍郎(正四品上)
を歴任してゆくのが、定石であったようである。
白居易は一時地方に出たが、中書舎人知制誥を経て、
太和2年(828年)に刑部侍郎(司法次官)(正四品下)にまで昇りつめ、
ついに次代の宰相候補に名を連ねた。
ところが、持病に悩まされてしまい、
激しさを増すばかりの党争に倦んだこともあり、
せっかくの要職を投げうつことに決めた。
五十八歳のかれにとって、
この決断は出世競争からの離脱を意味する重大なものとなった。
中国史人物伝シリーズ
白居易(1) 寒門
白居易(2) 科挙
白居易(3) 仕官
白居易(4) 長恨歌
白居易(5) 順風
白居易(6) 貶謫
白居易(7) 琵琶行
白居易(8) 白堤
目次
隠 棲
白居易の辞職願は受理され、太和三年(八二九年)四月に、太子賓客(正三品)分司東都に任ぜられた。
閑職に退いた白居易は、洛陽履道里の家に居を移し、
杭州や蘇州から持ってきた竹や蓮、それに天竺石や太湖石などを用いて、庭や竹林づくりに勤しんだ。
そんななか、劉禹錫が尚書省礼部の礼部郎中(従五品上)に昇進したという報せを受けた。
「老いたりとはいえ、まだ捨てたものじゃなかろう」
送られてきた詩からそう受け取り、おもわず苦笑してしまった白居易は、
「夢得(劉禹錫のあざな)との詩のやりとりも、繁くなったな」
と、ひとりごちながら『劉白唱和集』を編纂した。
訣 別
九月には、なつかしい顔と対面した。元稹であった。
かれはこのたび尚書左丞(正四品上)に任ぜられ、越州から都にもどる途中であった。
「久しいのう」
「六年ぶりだっけか」
と、再会をよろこびあってから、
「忘れ物を取りもどしたい」
と、返り咲きの意思をかくさない親友を、
——せんないことじゃ。
と、白居易は諭してあげたかったが、口論になるのを避け、詩や江南の話にあけくれた。
「つぎは、どんな形で会うんじゃろうな」
そういって見送った後ろ姿が、最後になろうとは、そのとき白居易はおもわなかったであろう。
翌年(八三〇年)の春に、元稹は検校戸部尚書(正三品)鄂州刺史武昌軍節度使に任ぜられ、
鄂州に出されてしまう。
中 隠
「小隠は陵藪に隠れ、大隠は朝市に隠る」(「反招隠詩」)
中国では、俗世の汚濁を避け、野に隠れて暮らす隠者が、古来より尊ばれてきた。
この詩を詠んだ西晋の王康琚からすれば、それは「小隠」にすぎない。
かれにいわせれば、「大隠」すなわち真の隠者は、世俗に紛れて超然と暮らすものである。
隠れずして隠る、これが理想である。
しかし、そのどちらもできそうにない白居易が理想の生き方として択んだのは、「中隠」であった。
白氏の稼ぎ頭として家族ばかりでなく一族も養うべき立場にあるかれにとって、
官を棄てて野に隠れるなど、とうていできない。
かといって、党争をくぐり抜けて中央政界で栄達する気力もない。
であるならば、その中間をとるしかない。
閑職に身を寄せ、俸禄を受けながらも縛られず、自由に暮らす。それが、「中隠」である。
壮年期に経世の志から諷諭詩をつくり、新楽府運動を推進した白居易であったが、
幾度の挫折を経ておのれの限界を知ったことで、ようやく自分に正直になれたのかもしれない。
嫡男誕生
太和三年の冬になって、白居易に待望の男児が生まれた。五十八歳になってようやく授かった嫡子に、
「阿崔」
と、名づけた白居易は、この児のすこやかな成長を願うとともに、
——大きくなるまで生きておれようか。
と、心配したりもした。
耳順吟
太和四年(八三〇年)十二月、白居易は洛陽の長官たる河南尹(従三品)に任ぜられた。
「中隠」を志向する白居易にとって、不本意といってよい辞令であろう。
とはいえ、宮仕えの身である以上、受けないわけにはいかない。
ほどなく、太和五年(八三一年)になり、耳順を迎えた白居易は、「耳順吟」なる詩をつくり、
同じく耳順をむかえた友人の崔羣(あざなは敦詩)と劉禹錫(あざなは無得)に贈った。
三十四十は五欲に牽かれ(まどわされる)
七十八十は百病纏わる(くるしめられる)
五十六十は却って悪しからず(かえってちょうどよい)
恬淡 清浄 心安然たり(あっさりとして清らかで、ゆったりした気もちでいられる)
已に愛貪声利を過ぐるの後(名望や利益を求める気もすでになくなり)
猶ほ病羸昏耄の前に在り(かといって、病みつかれたり、老いてもいない)
未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず(山水を訪ねるだけの体力は残っており)
尚ほ心情の管絃を聴く有り(管絃をきく余裕もある)
閑に新酒を開いて数盞を嘗め(暇なら、未開封の酒の封を開けて数杯呑み)
酔いて旧詩を憶いて一篇を吟ず(酔えば、むかしの詩をおもい出して詠む)
敦詩 無得 且つ相勧む(崔羣よ、劉禹錫よ、一緒に呑もうではないか)
他の耳順の年を嫌うを用いず(六十歳になったからといって、悲観することはない)
所与の条件のなかで充足した暮らしを模索しようとすするかれらしい詩である。
崔羣は、かつて宰相を務めたほどの人物で、このとき洛陽の白居易の家の南隣に住んでいた。
訣 別
秋になって、訃報に接した。七月二十二日、元稹が任地の鄂州で五十三歳で亡くなった。
わずか一日の病であったという。
——われより若いというのに……。
元稹の柩が洛陽を通った際、白居易は棺の上に手を置き、祭文を捧げた。
不幸はさらにつづく。
嫡子の阿崔がわずか三歳で夭折してしまった。
男系の卑族が絶えてしまったのは、痛恨の極みであるとしかいいようがない。
白居易は天の非情を恨み、
「老いて子のない身になってしもうた」
と、嘆いた。
白居易の子で、生きて成長したのは、十六歳になった二女の阿羅ただひとりのみであった。
九腸寸断
家族ぐるみのつきあいを続けていた親友、そして愛児を相次いで喪った白居易は、
劉禹錫らと詩を交換しながら、心にできた大きな穴を埋めようとした。
ところが、その劉禹錫が十月に蘇州刺史に出されてしまった。
その報せを受けて、断腸のおもいにさいなまれた白居易は、
——どれだけわれから奪えば、気がすむんじゃ。
と、天にむかって叫んだ。
劉禹錫は洛陽に立ち寄り、白居易と酒を酌み交わし、蘇州について語り合ってから蘇州へむかった。
白居易も五年前に蘇州刺史を務めていたが、当時五十五歳であったかれの場合とちがい、
これから蘇州へむかう劉禹錫は六十歳という高齢に達してからの赴任であり、
元稹のように任地で亡くなるかもしれない。
――もう会えないかもしれない。
そんな不安が、白居易の脳裡によぎった。
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