善は衆の主 苦悶の宰相 欒書(欒武子)(春秋 晋)(9) 福禄
かつての”千円札の顔”としても親しまれている明治の大文豪 夏目漱石は、
春秋時代に晋楚二大国が中原の覇権をめぐり三たびにわたって繰り広げた会戦
城濮の戦い (紀元前632年)
邲の戦い (紀元前597年)
鄢陵の戦い (紀元前575年)
のうちでは、鄢陵の戦いを好んだらしい。
晋の文公(重耳)が覇者となった城濮の戦いや楚の荘王が覇者となった邲の戦いに比べると、
鄢陵の戦いには地味な印象が拭えない。
しかし、会戦に至るまでの経緯ばかりか、交戦中、両軍ともに決め手がなく、
優劣がめまぐるしく入れ替わる展開は、手に汗をにぎるものがある。
漱石が鄢陵の戦いを好んだのは、このあたりにあったのかもしれない。
中国史人物伝シリーズ
欒書(1) 邲の戦い
欒書(2) 善は衆の主
欒書(3) 揺蕩
欒書(4) 不戦条約
欒書(5) 苦悶
欒書(6) 内憂外患
欒書(7) 六間
目次
勝 利
東の空が白みはじめたころ、偵諜が晋の本陣に駆け込んだ。
「楚の陣中に、人影がみあたりませぬ」
そう報されて、諸将はおどろき、
「まことか」
と、顔を見合わせた。
「とりあえず、確かめてみよう」
欒書は一軍を出して、楚陣のようすをうかがわせた。
「陣中には、たれもおりませぬ」
という報告に接し、
「楚は、わが強さに恐れをなして、逃げたのじゃ」
と、厲公がはしゃぐようにいうと、晋兵から歓声が挙がった。
――うまくいったわ。
欒書は、ほっと胸を撫でおろした。
実は、晋軍の兵糧は尽きかけており、あと何日も戦うことができない状況にあった。
晋軍は楚の陣にはいり、楚軍が残していった兵糧を三日間かけて食べ尽くした。
天 戒
楚軍の兵糧を食べ尽くしてから、
「背信の国を、とがめねばならぬ」
と、いって腰をあげた厲公の馬前に、士燮が立ちはだかった。
「君は幼弱で、諸臣は不佞でございますのに、なにゆえこうなってしまったのでしょう。
天道は特定の人に定まるものではなく、徳のある人にのみ授けられる、と聞いてございます。
天は晋に福禄を授け、楚に積徳を勧めているのではないでしょうか。君は戒めてくだされ。
徳は福の基です。徳もないのに福が盛んなのは、
基礎がないのに墉(土塀)を厚くするようなもので、何日もしないうちに壊れてしまうでしょう」
けわしい顔をむけながらそう諫めてくる士燮に、厲公は視線を合わさず、何もいい返さなかった。
しばらくして、
「斉の卿が、まいられました」
と、耳にするなり、
「おお、そうか」
と、いって、足早に去っていった。
国と家の将来を危惧した士燮は、凱帰の後、
「わが死を祈れ」
と、自家の祝宗(祈祷官)に命じた。
叔孫僑如の陰謀
沙随の会同
諸侯の軍が近づいていることを知り、晋軍は軍頭を西へむけた。
会同をおこなうためである。
会同の地は、宋の沙随である。
そこに斉、衛、魯の君主と宋の華元、邾の大夫が参加したのであるが、
なんと、厲公は魯の成公に面会しなかった。
じつは、厲公は、晋の東方担当大臣ともいうべき郤犨から、
「魯君は、日和見を決め込んでおりました」
と、きかされ、怒ったからである。
季文子を捕らう
七月に、厲公は諸侯の軍とともに鄭を伐った。
これに魯の成公や宰相の季孫行父(季文子)が従った。
そこに、郤犨が、
「季孫行父は、魯君に大国(晋)から離れるようしむけているよし」
と、訴え、九月に晋は季孫行父を苕丘で捕えた。
すると、成公のいとこにあたる公孫嬰斉が晋にやってきて、
「行父をお釈しくださいますよう」
と、郤犨に願い出た。
「仲孫蔑を追放して季孫行父を捕えれば、われは晋の公室以上に貴国と親しくおつきあいいたしましょうぞ」
郤犨がそう誘ってきたのは、公孫嬰斉がかれの義兄であったからであろう。
買 収
「僑如のことは、あなたもきっとご存知のはずです。
もし蔑と行父を追放すれば、大いに魯国を見捨てて寡君を罰することになります。
もしも魯国をお見捨てにならずにお恵みを施し、周公に幸いをお求めになり、
寡君を晋君にお仕えさせていただけないでしょうか。
そうなれば、あの二人は魯国の社稷の臣にございます。
もし朝に二人を滅ぼせば、魯は夕にはきっと滅びましょう。
魯は仇讎に近いところにありますゆえ、滅んで讎となれば、治めようとしてもどうにもできないでしょう」
公孫嬰斉はそういって、郤犨の誘いをきっぱりと拒んだ。
魯の叔孫僑如は、副宰相の重任にありながら、成公の生母である穆姜と密通したばかりか、
季孫行父と仲孫蔑を追放して魯の権柄を独占しようともくろみ、郤犨に贈賄した。
郤犨が厲公に成公や季孫行父を中傷したのは、叔孫僑如に買収されたからであった。
「あなたのために、邑を下賜するよう願い出ましょう」
と、郤犨は懐柔に転じた。だが、嬰斉はそれに乗らず、
「われは魯の賤官です。大国のご助力をいただいて、厚遇を求めようとなどいたしましょうや。
寡君の命を受けてお願いする次第です。
もしお聞き届けいただけますれば、あなたから数多の賜物を受けたことになります。
これ以上、何を求めましょうや」
と、訴えた。
訴 願
公孫嬰斉の態度に打たれた貴人がいた。
次卿(副宰相)の士燮である。
「季孫氏は魯の二君(宣公と成公)を輔佐しておりながら、
妾には帛を着せず、馬には粟を食べさせないそうな。忠というべきでしょう。
讒慝を信じて忠良を棄てれば、諸侯にどう弁解するのでしょうか。
嬰斉は君命を奉じて私心がなく、国家のことを考えて二心を抱かず、
おのれのことを後回しにしてでも君のことを忘れておりませぬ。
かれの要請を容れなければ、善人を棄てることになります。どうかよくお考えなされ」
士燮は、欒書にそう訴えてきた。
邪な叔孫僑如の言を真に受けて賢相の季孫行父を排斥するようなことがあれば、
諸侯はますます晋から心を放すことになろう。
欒書はそう考えて、
「宜なり」
と、応じ、季孫行父を釈放させた。
季孫行父は帰国すると、叔孫僑如を追放して諸大夫と盟った。
しかし、叔孫氏を滅ぼすようなことはせず、叔孫僑如の弟の叔孫豹に家督を襲がせた。
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