曹操から敬憚されるも誤解されて死を賜った不運な争臣 崔琰(後漢)(2) 時なるかな
崔琰は若いときは剣術を好んだが、23歳を過ぎてから学問に目醒め、
袁紹や曹操から辟かれるまでになった。
朝臣から敬慕され、曹操からも厚い信望を受けた崔琰に、
待ち受けていた末路とは――
中国史人物伝シリーズ
目次
率時者
建安十三年(二〇八年)に曹操が丞相になると、
「君には伯夷の風や史魚のような忠直があり、貪夫は君の名を慕って清廉になり、
壮士は名誉を尚んで厲行している。
これこそ時代の指導者である。それゆえ、東曹を授けるのである。往ってその職務に当たられよ」
として、崔琰は丞相府の東曹(人事部)の属官に任じられた。
その後西曹に移り、さらに徴事となり、毛玠らとともに官吏を選挙した。
建安十八年(二一三年)に魏国が建国されると、崔琰は尚書(秘書官)を拝命した。
ときにまだ太子が立てられておらず、曹植には才があり、曹操から愛されていた。
曹操の寵臣であった丁儀は、曹丕に遺恨があり、曹植を太子にするようしきりに曹操に勧めていた。
曹操は狐疑し、封緘された文書にてひそかに群臣に諮うたところ、崔琰だけが封をせずに返書した。
「『春秋』(隠公元年)の義によれば、子は長を立てる、ときいております。加えて五官将は仁孝かつ聡明で、
よろしく正統を承けるべきです。琰は生命をかけて守りとおします」
曹植は、崔琰の兄の女婿であった。
それなのに曹丕を推した崔琰の公明さを、曹操は貴び、喟然として嘆息し、中尉(警視総監)に遷任させた。
誉 望
崔琰は当代きっての清廉な賢者であり、忠信において朝廷で抜きん出ていた。
道理に明るく大略があり、公正を貫いた。
また、声や姿がのびやかで、顔かたちが大きくはっきりしており、
鬚(あごひげ)は四尺(約九十六センチメートル)もあり、たいへん威厳があった。
朝士は崔琰を瞻望し、曹操でさえ敬憚した。
その一方で、崔琰には義に篤いところがあり、
若くして亡くなった友人の公孫方、宋階の遺児をわが子のように撫養した。
時乎時乎
楊 訓
崔琰はかつて鉅鹿の楊訓を才は足りないが、心が清く、道を守っているといって曹操に推薦したことがあった。
建安二十一年(二一六年)に曹操が魏王になると、楊訓が上表して曹操の功績を称賛し、盛徳を褒めたたえた。
なかには楊訓がうそをいって曹操に取り入ろうとしているとして嘲笑し、
崔琰は推挙する人を誤ったという者もいた。
そこで、崔琰は楊訓から上表文の草稿をとりよせ、その内容を確認し、楊訓に書を送った。
「上表文を拝見したが、内容がよいだけだ。時なるかな時なるかな。きっと変わるときがこよう」
――批判している者は、非難を好むだけで、情理を考えない。
これがその本意であった。
ところが、図らずもこの書が崔琰の生命取りになってしまった。
曲 解
ときに、曹丕と曹植が太子の座をめぐり熾烈な争いを繰りひろげていた。
どういうわけか、曹丕を支持する崔琰の書の内容が、曹植派の丁儀の知るところになった。
「この書は、世人を見下して怨み謗るものです」
丁儀が曹操にそう奏上したところ、曹操は、
「きっと変わるときがこよう、というのは、
指意が(楊訓が、いまは曹操を称賛しているが、いつか非難することになろう、と解され)不遜じゃ」
と、怒り、崔琰を髠刑に処して徒隷(囚人)とした。
――時なるかな時なるかな。
崔琰は、曹操の怒りのほとぼりが醒めるのを待った。
自邸に蟄居処分となった崔琰のもとを、数多の客人が訪れた。
そこを、丁儀がつけこんだ。
「崔琰は刑を受けながら賓客を家に通し、家門は市場のようです。
しかも、虬のような鬚で賓客を直視し、心がおだやかでないようです」
――放ってはおけぬ。
そう感じた曹操は、公平な大吏に崔琰の様子を観てくるよう命じた。
「平然とした感じでございました」
という復命に接し、曹操は忿然として、
「崔琰は、どうあっても孤(諸侯の一人称)に刀鋸(刑具)を使わせたいのか」
と、いい、崔琰に死を命じた。
崔琰は命を受け、
「うかつであった。王のお気持ちがそこまでであったとは――」
と、いい、自殺した。
人物眼
崔琰は魏で十余年にわたり官吏の選挙に当たり、文武の群才を数多選抜した。
その高識は朝廷から信頼され、公平さは天下に称えられた。
崔琰は司馬朗と仲がよく、司馬懿が成年に達したころ、
「あなたの弟は賢くて誠実で、剛胆で決断力があってひときわすぐれており、
おそらくあなたの及ぶところではないでしょう」
と、語げた。
「まさか……」
司馬朗は同意しかねたが、崔琰はつねにそう意っていた。
従弟の崔林は、若いころ名望がなく、姻族ですらかれを軽んじる者が多かったが、
「あれはいわゆる大器晩成というものだ。しまいにはきっと大出世するぞ」
と、崔琰は、いつも話していた。
涿郡の孫礼と盧毓がはじめて出仕してきたとき、
「孫礼は度量が大きくて飾り気がなく、剛毅でよく決断する。
盧毓は明哲で、どれだけきたえてもなくならない。
ふたりとも三公の才がある」
と、高く評価した。
のちに、崔林、孫礼、盧毓は、いずれも三公にまで昇った。
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