盗賊か乱世の梟雄か 孔子の好敵手 魯国を牛耳った下剋上の代表 陽虎(陽貨)(春秋 魯)(4) 亡命
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季孫氏の家宰であった陽虎は、紀元前505年に主君の家督継承に端を発して
政変(陽虎の乱)を起こし、魯国の事実上の支配者になった。
その3年後、陽虎は、不平不満分子と共に三桓氏に取って替わろうと企てた。
しかし、三桓氏の抵抗にあって失敗し、都を去って陽関へ逃れ、叛旗を翻した。
中国史人物伝シリーズ
目次
出 奔
定公九年(紀元前五〇一年)六月、三桓氏は陽虎が立てこもる陽関を攻撃した。
「萊門を焚け」
陽虎は、そう命じた。
「城門が燃えているぞ」
城にあがった火の手をみて、三桓氏の兵はおどろき騒いだ。それをみて、陽虎は、
「ゆくぞ」
と、いい、動揺する敵軍を突き破り、斉へ逃れた。
陽虎は、斉にはいるなり、
「三たび攻めれば、きっと魯を取れます」
と、景公を説き、援軍を要請した。
景公は心を動かされ、
「この機に、魯を伐とう」
と、腰を浮かしかけたが、老臣の鮑国(鮑叔牙の玄孫)に諫められて翻意し、
「陽虎を捕らえよ」
と、命じた。
裏の裏
このままでは、魯へ送還されてしまう。
――晋へゆきたい。
陽虎はそう望みつつ、
「東方へゆきたい」
と、わざと反対のことを述べた。
すると、陽虎は西辺へ送致された。
斉としては、裏をかいたつもりなのであろう。
ところが、してやったり、というおもいの陽虎は、
――追手につかまらないようにするには、どうすればよいか。
と、思案し、
「車を貸してほしい」
と、邑人に頼んだ。
そして、邑にある車を残らず借り受けると、車軸のこしきの中にはいる部分を切断し、
折れやすくしておいてから、切断部に麻を巻いて隠して返した。
――これで、追ってこれまい。
と、内心ほくそ笑んだ陽虎は、葱霊(荷車)の中に入り、荷に紛れこんで逃れ出ようとした。
しかし、追手に捕まり、斉都へ連行され、幽閉された。
――このままでは、殺される。
そう予感した陽虎は、ふたたび葱霊に紛れこんで宋へ逃げ、
さらに西へ奔り、晋の正卿(宰相)である趙鞅(趙簡子、趙武の孫)に保庇を求めた。
虎を御す
下剋上の代表ともいうべき陽虎を天下の主宰者ともいうべき趙鞅がどのように扱うのか、
天下の耳目が注がれたといってよいであろう。
「陽虎を、家宰にする」
趙鞅は陽虎を受け入れるばかりか、自家の家政を預けるといいだした。
これに近臣が反発し、
「陽虎は他人の権力を奪うのに長けている、とききます。なにゆえ家宰になさるのですか」
と、強く諫めた。しかし、趙鞅は、
「陽虎が権力を奪い取ろうとするのなら、われはそれを守りぬけばよいだけのこと」
と、こともなげに返し、陽虎を家宰として召し抱えた。
趙鞅は、野心が旺盛な陽虎を見事に統御した。
陽虎は悪心を起こすことことなく趙鞅に仕え、趙氏の家勢を高めていった。
陽 貨
孔子とその高弟たちの言行録『論語』に陽貨という人物が登場し、これが陽虎と同一人物であるとされる。
陽貨は、孔子を召し抱えようとして面会を求めた。
しかし、孔子は面会を拒んだ。
そこで、陽貨は豚を贈って去っていった。
こうなると、孔子は返礼せざるを得ない。
だが、陽貨に会いたくない孔子は、陽貨の留守を狙って返礼した。
しかし、帰途に陽貨に遇ってしまった。
「宝をしのばせていながら、邦を迷わしている。これを仁といえようか」
陽貨がそう問いかけたところ、孔子は、
「仁とはいえません」
と、応えた。
陽貨はさらに、
「政事を好みながら、しばしば時宜を失っている。これを知といえようか」
と、孔子の痛いところをついた。
孔子は、これにも、
「知とはいえません」
と、応えるしかなかった。
「歳月は過ぎゆき、われを待ってくれぬ」
陽貨はそういって、孔子を誘った。
「わかりました。時機をみてお仕えするでありましょう」
孔子はそう応じたものの、結局は仕えなかったようである。
孔子と陽虎
白川静著『孔子伝』によれば、陽虎には孔子と数多の共通点があったらしい。
出自もしかり、世間への野望もまたしかり。
さらに、陽虎は古典に通じ、人を惹きつける魅力があり、多くの弟子を持った。
しかも、政治的な嗅覚にもすぐれ、政変を起こして魯国を支配した。
最後には夢破れて亡命したとはいえ、国政を担い、理想を実現しようと試みた陽虎は、
孔子の先駆者であったといえよう。
ましてや、ともに長身で外貌が酷似していたとあれば、お互いに意識し合わないわけがない。
(『史記』孔子世家によれば、孔子は身の丈九尺六寸(約二メートル十六センチメートル)もあり、
長人と呼ばれた、と記される。)
陽虎が魯の実質的な支配者となった時、孔子は四十八歳であった。
陽貨が陽虎と同一人物であるとするならば、『礼記』で仕官の歳とされた四十歳を過ぎてなお処士のままで、
不惑に達し、才能をいだきながら芽が出ない孔子に、不遇をかこっていたかつてのおのれを重ね合わせ、
――なんとか引き立ててあげたい。
と、おもったのかもしれない。
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