Blog ブログ

Blog

HOME//ブログ//始皇帝暗殺 傍若無人ながら刺客になり切れなかった俠士 荊軻(戦国 燕)(2) 大事

中国史人物伝

始皇帝暗殺 傍若無人ながら刺客になり切れなかった俠士 荊軻(戦国 燕)(2) 大事

荊軻(1)はこちら≫

燕の太子丹が、人質となっていた秦から逃げ帰ってきた。

かれは、秦王政(始皇帝)に怨みをいだいていた。

この怨みは義憤ではなくて、私怨であった。

かつて丹が趙に人質にだされていたとき、政もいて、人質どうし仲がよかった。

その後、かつて范雎を説いて引退させたことで知られる蔡沢のはたらきかけもあり、

丹は秦に人質にだされることになった。

そのとき、政は秦王になっていた。

丹は政との再会を楽しみに秦へむかった。

ところが、人質としてきた燕の太子に、秦王政は冷淡に接した。

それに不満をいだいた太子丹は秦王を怨み、秦から逃げて燕に帰ると、

秦王政への報復を考え、田光に接触したのであった。

中国史人物史シリーズ

目次

国の大事

計 謀

そのころ、七大国のうち最強の秦が、天下を統一せんとすべく、しきりに東方諸国を攻めたて、
紀元前二三〇年に韓を滅ぼし、趙や魏も滅亡寸前であった。
趙が滅べば、燕もどうなるかわからない。
太子丹はそう語ってから、つぎのように述べた。
「燕は弱小で、戦に苦しめられてきました。国を挙げて戦っても、秦に当たることなどできません。
さりとて諸侯は秦に服従しており、いまさら燕と合従しようとする国などありません。
おもいまするに、もし天下の勇士を得て、秦へつかわし、大利を示して秦の気をひくならば、
秦王は貪婪なので、きっとうまくいきましょう。
もし秦王を劫して、曹沫が斉の桓公にしたように、諸侯から奪い取った地をすべて返還させられれば、
最上です。もしそれができなければ、そこで秦王を刺し殺すのです。
秦の大将たちは国外で軍をおもいのままに動かしておりますが、
国内で大乱が起これば、君臣はたがいに疑いあいましょう。
その隙をついて諸侯が合従することができれば、秦を破ることができるのは必定です。
以上がわれの一番の願いなのですが、それをおまかせできる方を存じません。
荊卿には、このことをお考えいただきますよう」

決 断

――秦王を、殺せ。
太子丹は、そういっている。だが、そんなことできようものか。
太子丹は、荊軻が剣術に秀でている、と田光からきいたのであろう。
たしかに、かれは剣術におぼえがあるが、人を殺したことはない。
たとえ秦王が悪であったとしても、暗殺という手段に訴えれば、
成功したとしても、非はおのれのほうが大きくなるのではないか。
太子丹や燕国を救ったとしても、おのれは悪を消したはずが悪を背負うことになってしまう。それでよいのか。
荊軻は瞑目して、自問をつづけた。
ながい沈黙のあと、目をひらいた荊軻は、おもむろに口をひらき、
「これは国の大事でございます。臣は駑下にて、役不足かと存じます」
と、太子丹の申し出をことわった。
しかし、太子丹は進み出て頓首し、
「ご辞退なされぬよう」
と、固く請うた。
――辞退は、まかりならぬ。
荊軻の脳裡に、田光の顔がよぎった。
――これも、天意か。
荊軻はそうおもい、ようやく、
「わかり申した」
と、応じた。

腹 案

時宜を待つ

太子丹は荊軻を尊んで上卿とし、上等の宿舎に住まわせた。
太子丹は毎日荊軻のもとを訪れ、太牢の馳走に珍しい品々をそなえ、ときには車馬や美女をすすめるなど、
荊軻の望むものはなんでもかなえてくれた。
そんな日々が何日もつづいたが、荊軻は慎重で、なかなか腰をあげるけはいをみせなかった。
――まだそのときではない。
と、判じたからである。
その間に、秦の将軍王翦は趙を破り、趙王遷を捕虜にして、趙の地を併呑し、
さらに軍を進めて燕の南の境界にまで迫った。紀元前二二八年のことである。
太子丹は恐懼して、
「秦軍がいまにも易水を渡ってくれば、末長くあなたをおもてなししたいと願いましても、かないしょうや」
と、荊軻に頼みこんだ。
「太子のお言葉がなくても、臣は言上つかまつりたいことがございました」
荊軻はそういって、腹案を披露した。

手土産

「いま秦へ参りましょうとも、信用されなければ、近づくことなどできません。
樊将軍には、秦王が千斤の黄金と万戸の邑を懸賞にかけております。
もし樊将軍の首と燕の督亢(地名、肥沃の地という説もある)の地図を頂戴して、秦王に献上いたしますれば、
秦王は必ずやよろこんで臣を引見いたしましょう。そうなれば、臣は太子のご恩に報いることができましょう」
荊軻がそう進言すると、太子丹は愁眉をよせながら、
「樊将軍は窮困して、われを頼ってまいられたのです。私ごとのために長者の心を傷つけるのには忍びません。
なにとぞお考えなおしていただけますまいか」
と、返した。
――ならば、自分でなんとかせねばならぬな。
荊軻は、樊将軍すなわち樊於期を説くことに決めた。

SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧