始皇帝暗殺 刺客になり切れなかった俠士 荊軻(戦国 燕)(1) 傍若無人
秦の始皇帝(嬴政または趙政、名は正ともいわれる)(前259-前210)
は、その生涯で幾度か暗殺されかかったことがある。
そのうち最も生命の危機にさらされたのは、
紀元前227年に燕の刺客
荊軻 (?-前227)
に襲われたときであろう。
この話は、『史記』刺客列伝の名場面で、国語の教材に収載されたり、
また、最近でも映画『始皇帝暗殺』等の題材となっており、
現在なお人口に膾炙しているといえよう。
中国史人物伝シリーズ
目次
覇者の末裔⁉
荊軻は衛人で、先祖は斉の慶氏であった。
斉の宰相であった慶封は、覇者となった桓公の曽孫ともいわれる。
もしかすると、荊軻にも桓公の血が流れていたかもしれない。
荊軻はもとは慶軻と称し、衛人から慶卿と呼ばれていた。
かれは読書と剣術を好み、衛の元君に法家の思想を説いたものの、用いられなかった。
そこで、仕官をもとめて歴游した。
不毛な争いを忌避
荊軻が楡次に寄ったさい、蓋聶という游俠と剣術について論じあい、蓋聶に睨みつけられた。
――つまらんやつだ。
荊軻は蓋聶を相手にせず、身を引いて立ち去った。
また、趙の首都邯鄲で游んだとき、魯句践と博戯(すごろくばくち)をして、
そのやり方でいい争いになり、魯句践に叱られた。
――こいつには、何をいったってせんないことじゃ。
荊軻は黙って逃げ去り、魯句践に会うことは二度となかった。
傍若無人
荊軻が燕に移り、荊氏を名告るようになると、燕人から荊卿と呼ばれるようになった。
荊軻は酒を嗜み、犬殺しをしている男や筑の名手高漸離らと酒場で飲んで、親交を深めた。
酒たけなわになると、道のまんなかであろうとかまわず、高漸離が筑を撃ち、荊軻がそれにあわせて歌い、
ともに楽しみ、やがて感極まってたがいに泣きだし、まわりにたれもいないかのようであった。
(「傍若無人」という成語は、ここから生まれた。)
荊軻の人となりは、沈着で思慮深く、読書を好んだ。
それまで游歴した国ぐにでは、いずれも在地の賢人、豪傑ならびに徳のすぐれた人物と親交し、
燕に移ってからも、燕の処士田光先生から手厚いもてなしを受けていた。
田光は智恵が深く、勇気があって冷静沈着な人物であった。
田光先生
「荊卿よ」
と、田光が老いた背をまるめて荊軻のもとを訪れてきた。
「田光先生」
そのなにやら思いつめたようなようすに、荊軻は戦慄すらおぼえた。
田光は、おもむろに口をひらいた。
「われとなんじが親しいことを、燕国で知らぬ者などいない。
いま、太子はわれの壮盛なころのことを伝え聞いてはいるものの、
わが身がすでに及ばなくなっていることをご存知ない。
幸いにも太子はこうおっしゃられた。
燕と秦は両立できぬ。先生にはなにとぞこのことを心に留めおきください、と。
われは、なんじを家族のようにおもうてきた。
そこで、なんじのことを太子に申しあげておいた。どうか太子を宮殿に訪ねてくれぬか」
――太子だと――。
荊軻は、おどろいた。
貴人の要求など、およそろくなことがない。かかわらずにすむのであれば、そうしたい。
だが、ほかならぬ田光からのたのみゆえ、
「謹んで承ります」
と、荊軻は即答した。それをきいて、田光は安心したような表情を浮かべ、
「長者はひとに疑念を抱かせぬ、ときいておる。
じゃが、太子は、いま話したことは国の大事ゆえ他言無用、とわれにおっしゃられた。
太子は、われを疑っておられるんじゃ。ことをなそうとしてひとを疑わせては、節俠(俠士)とはいえぬ」
と、いい、つづけて、
「どうかすぐに太子を訪ね、われがすでに死んだことを告げ、他言しなかったことを明らかにしてもらいたい」
と、いいおえると、自刎して果てた。
――田光先生の壮絶な死を、むだにはできぬ。
そのおもいを胸に、荊軻は宮殿へむかった。
太子丹
荊軻は太子丹に謁見し、
「田光先生はすでにお亡くなりになり、他言いたしませんでした」
と、申しあげた。
「ああ――」
太子丹は再拝して跪き、膝行してなみだを流した。しばらくして、
「われが田先生に他言しないよう誡めたのは、大事のはかりごとを成し遂げたいとおもうたまでのこと。
いま、田先生は死をもって他言しなかったことを明らかになされた。
どうしてわれがそんなことを望んでいようか」
と、なみだまじりにいった。それをきいて、
――先生は、こんなやつのために死んだのか。
と、荊軻は腹だたしさをおぼえたが、それを貌にみせるようなことはしなかった。
荊軻が席につくと、太子丹は席を避け、頓首していった。
「田先生はわれが不肖であることをご存じなく、あなたにお会いする機会をつくってくださいました。
これは天が燕を哀れみ、孤(諸侯の一人称)をお見棄てになられていないということです。
いま、秦は利をむさぼり、その欲望はとどまるところを知りません。
天下の地をすべて呑みつくし、海内の王をすべて臣下にしない限り、満足しないでしょう」
そうきりだした太子丹は、つづけて、その当時の天下の情勢を語った。
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