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中国史人物伝

浪人転じて人気詩人⁉ 漢代随一の文豪 司馬相如(前漢)(1) 游説

群雄割拠の戦国時代には、蘇秦、張儀、陳軫ら縦横家をはじめとする

「游説の士」(または「游士」)

が、天下を駆けまわって諸侯を説き、名を挙げた。

漢の世になると、游士たちは諸侯王に賢人として召しかかえられ、「文弁」で名を著した。

日本でいえば、御伽衆といったところであろうか。

その代表が鄒陽、枚乗らであり、はじめかれらは呉王の劉濞に仕えていたが、

劉濞が叛意をあらわにしたので諫めたものの容れられず、梁王の劉武のもとへ移った。そこに、

司馬相如(あざなは長卿)(前179-前117)

が加わった。

賦の名人として名高いかれは、妻の卓文君との恋愛でも有名である。

相如は卓文君の実家の支援を得て極貧を脱し、詩賦の才でもって武帝の寵臣になった。

それなのに、妾をつくろうとして、

「それなら、別れましょう」

と、卓文君にいわれ、諦めた、という話まである。

戦国時代に弁舌をふるって君主を説いていた游士が、漢代には文辞で説いた。

ここに游士の変容がみられるといえなくもないが、

修辞に長けた才能を活かした結果なのであろう。

中国史人物伝シリーズ

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目次

宮仕え

司馬相如は蜀郡成都県(今の四川省成都市)出身で、若いころ読書を好み、剣撃を学び、
犬子とよばれた(犬と剣は音が近い)が、のちに藺相如の人となりを慕い、相如に改名した。
やがて財を献じて郎(皇帝の侍従官)に任じられたかれは、
立身の志をいだいて成都を発つにあたり、城の北にある昇遷橋の柱に、
「赤車駟馬に乗らずんば、なんじの下を過ぎず」
と、書きつけた、というような話が『蒙求』「相如題柱」などにある。
赤車駟馬は、高官が乗る馬車である。
――必ずや出世してみせる。
という不退転の決意で長安に至った相如は、景帝に仕えて武騎常侍(騎馬で侍従する官)となった。
得意の詩賦で仕えられればよかったが、景帝が辞賦を好まなかったため、
心ならずも騎馬で侍従するしかなかったのである。
そのころ、景帝の同母弟である梁王の劉武が、
斉人の鄒陽
淮陰の枚乗
呉の荘忌
ら当代一流の文人を従えて来朝してきた。相如はかれらに会って心おどり、
――梁王にお仕えしたい。
と、おもい、病と称して官を辞し、梁へ移った。
相如は劉武の歓待をうけ、梁で数年のあいだ鄒陽らとひとつ屋根の下で暮らすことができた。
代表作となった『子虚の賦』を著したのは、このころであった。

臨 邛

紀元前一四四年に劉武が亡くなると、司馬相如は帰郷した。
しかし、家が貧しくて、生計を立てるすべもなかった。そこで、
――暮らすのに難儀している。
と、かねてから仲がよかった臨邛県の県令王吉に告げたところ、
「志を遂げられず、困苦しているのなら、われのところへこないか」
と、誘いを受けた。
相如は、それに応じることにした。

卓王孫

相如は、成都の西南百八十里(約七十五キロメートル)にある臨邛へ往き、王吉に到着を報せた。
すると、かれが宿泊した都亭(県立の旅館)へ、王吉が訪ねてきた。
「長卿(相如のあざな)よ、久しいのう」
「しばらく世話になる」
「そんな長逗留にならないかもしれんぞ」
なにゆえそのようなことがいえるのか、と怪訝な面貌を浮かべる相如の気をそらすように、
「ここは鉄の産地で、富人が多い」
と、王吉がいった。
なかでも卓王孫は八百人、程鄭は数百人もの家僮(召使い)をかかえているという。
「卓王孫には、卓文君という寡婦(未亡人)になったばかりの女がおるんじゃが」
「ほう」
「文君は音楽を好むとか」
「それがどうしたというんじゃ」
「なんじは琴がうまいじゃろう。挑んでみては」
「器量のほどは」
「みめよし」
そうきかされて、相如は身をのりだしながら、
「よろしくたのむ」
と、いった。
「じゃあ、これからはたがいに丁重にふるまうとしよう」
そういった王吉は、つぎの日から毎日相如のもとを訪れてご機嫌うかがいをし、わざと恭しく相如に接し、
何日かすると、
「病と称して、会うのをことわりなさい」
と、助言した。
そこで、相如は王吉への面会を拒んだ。
すると、王吉はますますかしこまって謹むようになった。

王吉のねらいは中たった。
ほどなく、城じゅうが、
――県令のもとに相当な賓客が来ている。
といううわさでもちきりになった。
そんななか、卓王孫が程鄭に会い、
「県令のところに貴客がきておられるそうな」
と、話しかけた。
「なんでもここにきたとき、車騎を従えていて、挙措は風雅で都びていたらしいな」
程鄭がそう応じると、
「県令ともどもお招きしよう」
と、卓王孫がいいだした。

秋 波

臨邛で、卓王孫と程鄭にさからえる者などいない。
卓氏の邸には、百人を超える客が詰めかけた。
しかし、当の相如は、王吉の助言もあり、
「あいにく、病に罹りましたゆえ」
と、鄭重に誘いを断った。
昼すぎに王吉が迎えにきて、
「もう、いいんじゃないか」
と、いってきた。
――いよいよだな。
相如は胸の高なりをおさえつつ、病を押して無理に出かけるふりをして卓氏の邸を訪れた。
相如は、満座から身を傾けるほどの視線をあびた。
酒宴が酣になった。
王吉が進みでて相如に琴を献じ、
「きくところによれば、長卿どのは琴がお好きだとか。どうかひとつご披露いただけまいか」
と、勧めてきた。
「とてもみなさまにお聞かせできるようなものではございません」
相如はそういって遠慮したが、
「まあ、そんなこといわずに」
と、勧められ、一、二曲鼓した。
――あのかたに届け。
と、ばかりに、心のうちを琴の音に託して、卓文君に誘いをかけたのである。
酒宴が終わると、相如はさっそく人をやって文君の侍者に手厚い贈物をして、
文君へのおもいを伝えてもらった。
その夜、
「長卿さま」
と、いって、相如のもとをおとずれてきた女人がいた。

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