白公の乱を治めた君子は龍がお好き⁉ 沈諸梁(葉公子高)(春秋 楚)(2) 懸念
葉公子高(沈諸梁)には、逸話が多い。
なかでも有名なのは、うわべだけを愛好する意で用いられる
「葉公好龍」
という成語のもとになったつぎの話ではなかろうか。
葉公は龍を好み、帯鉤(おびどめ)や酒器をはじめ、
あらゆるものに龍の彫刻を施し、家じゅう龍の彫刻だらけであった。
これをききつけて、龍が葉公のもとへやってきた。
葉公が窓をみると、なにやら気もちの悪い生き物がこちらを覗きこんでいる。
尾のほうに目をやると、なんと堂まで垂れていた。
――ばっ、化けものじゃ――。
葉公はおもわず仰天し、腑が抜けて逃げだした。
『新序』(雑事五)にあるこの話だけみれば、小人にすぎない葉公であるが、
『春秋左氏伝』では、軍事にも内政にも長けた君子であった。
中国史人物伝シリーズ
目次
六 徳
「勝を召されるとか」
葉公がそう訊くと、
「さよう」
という応えが、子西から返ってきた。
「勝はうそつきで乱暴者だとききます。国に害をなすのではありますまいか」
と、葉公が異見を呈すると、子西は首を横にふり、
「いや、われは勝は信義に篤く勇気があるときいておるぞ。辺境にでもおいておけば問題なかろう」
と、述べた。
「それはいけません。勝は復言を好み、死士を求めているときいております。
おそらく、私怨を晴らそうとしているのでしょう。復言してわが身をかえりみないのは、展(まこと)です。
人を愛しておきながら先のことを考えてあげないのは、不仁です。計謀で人を騙すのは、詐です。
残忍で義を犯すのは、毅(強引)です。愚直で人情を顧みないのは、中庸ではございません。
あけっぴろげに話して徳を棄てるのは、不淑(不善)です。
これら六徳にはみな華はありますが、中身はございません。
それなのに起用なさるおつもりですか。勝は狷介で心が不潔です。
狷介で旧怨を忘れず、不潔なまま改悛せず、報復のみを考えるなら、できないものなどございません。
勝が怨む相手は、もはやたれもこの世におりません。もし楚にきても寵遇されなければ、すぐに怒りましょう。
寵遇されれば、調子に乗り、欲に限りがなくなりましょう。
腹心を得て、国に間隙があれば、きっと野心をあらわにしましょう。そのとき、たれが対処なさるんですか。
勝は旧怨をおもって大寵(高位)を望み、人心を得て、怨むにも正当な理由がございます。
起用すれば、害がたちどころにやってまいりましょう。あなたはきっと後悔なさいますぞ――」
そう葉公が強諫したのは、
――勝は報復しか考えていないのではないか。
と、おもったからである。ところが、
「恩徳を施せば、怨など忘れよう。われが勝を厚遇すれば、勝は安心しよう」
と、子西がなおも楽観を述べるので、
「そうはまいりません」
葉公の反駁に熱が帯びた。
疾 眚
「仁者だけが好いてもよし、憎んでもよし、高位においてもよし、下位においてもよい。
仁者は好かれても偪らず、憎まれても怨まず、高位にあっても驕らず、下位にあっても懼れない。
だが、不仁者は違う。他人に好かれれば偪り、憎まれれば怨み、高位につけば驕り、下位にあれば懼れる。
驕れば欲がでて、懼れれば憎むようになる。われはそうきいてございます。
欲悪怨偪から詐謀が生まれます。あなたはどうなさるおつもりですか。
もし召しだして下位におけば、不安になり、懼れましょう。高位につければ、怒り怨みましょう。
これでは、詐謀の心は安まりません。
不義は一つだけでも国家を滅ぼします。
それなのに、五つも六つも不義があるような者を用いようとするのは、危険ではございませんか。
国家が滅びるときは、必ず姦人を用いてその疾味(美味であるが、病気のもとになるもの)を嗜む、
と申します。これはあなたのことではございませんか。
たれにでも疾眚(病と禍)はございます。が、能ある者はこれを早期に取り除いてしまいます。
旧怨は、宗国を滅ぼす疾眚です。
関(かんぬき)、籥(かぎ)、蕃籬(垣)などを用意して備えたとしても、なお疾眚を恐れて
いつもびくびくするものです。それをみずから呼んで近づければ、たちまち死んでしまいましょう。
狼子野心という語がございます。怨みをいだいているような者とつきあう必要などございません。
むかし、斉の騶馬繻が胡公を貝水で殺し、邴歜と閻職が懿公を弑して竹やぶに棄て、
晋の長魚矯が三郤を榭(うてな)で殺し、
魯の圉人(馬飼い)犖が子般(魯の荘公の太子)を次(宿舎)で殺しました。
なにゆえですか。旧怨を晴らすためではございませんか。いずれもあなたがご存じのはずです。
人が善敗(成功や失敗)をたくさん知りたいのは、それを戒めにするためです。
それをいま、あなたがきき棄てにするのは、耳を塞いでいるようなものです」
――これだけ語を費やしても、この人の心にまったく染みないようじゃ……。
そうみてとった葉公は、
「これ以上話しても、せんないことです。われにできるのは、逃げることくらいです」
と、舌鋒をおさめるしかなかった。
「なんじは気にし過ぎじゃ」
子西はそう一笑に付し、取りあわなかった。
讎遠からず
恵王二年(紀元前四八七年)、子西は呉へ使いを遣って勝を楚に召し還し、呉との国境に近い白邑に封じた。
以後、勝は白公と称された。
葉公は病と称し、蔡へ移った。
恵王六年(紀元前四八三年)、白公は、
「鄭を伐ちたく存じます」
と、子西に願いでて、許された。
しかし、まだ兵を起こさないでいるうちに、晋に攻められた鄭から楚に救援要請があった。
子西はそれに応じ、鄭を救った。
おのれを理解してくれていると思ってばかりいた子西が不俱戴天の讎の窮地を救ったと知らされて、白公は、
「鄭人ここにあり、讎遠からず――」
と、怒声をまき散らし、剣をとぎはじめた。
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