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中国史人物伝

名将にして名相 商鞅に影響を与えた『呉子』の主人公 呉起(戦国 魏・楚)(2) 西河の守

呉起(1)はこちら>>

呉起はありあまる才を有しながらも、倫理面をあげつらわれてなかなか擢用されなかった。

そんなかれにたいしては、どのような評価がなされていたのであろうか。

『史記』(孫子呉起列伝)によれば、魯君に讒訴した者の発言として、

――呉起は節義を守り名誉を重んじ、それがよいと思っている賢人である。

と、ある。さらに、魏の重臣であった李克が、

「呉起は貪欲で好色ではございますが、

用兵においては司馬穣苴(春秋時代の斉の名将)でさえも及びません」

と、魏の文侯に語げている。

それをきいて、文侯は呉起を抜擢した。

素行よりも才能を優先したのは、いかにも実力主義の時代らしい判断である。

――用兵にすぐれ、清廉かつ公平であり、有能な人物をもらさず活用し、

士卒の心をつかんでいる。

と、文侯は呉起を高く評価し、西河(黄河西岸の地)の太守に任じた。

これで呉起はようやく驥足を伸ばすことができる環境に身を置けた、といえようか。

中国史人物伝シリーズ

目次

国 宝

紀元前三九六年、文侯が亡くなり、武侯があとを襲いだ。
武侯は領内の巡狩をおこない、舟を西河(黄河)に浮かべ、呉起にむかって、
「美しいものだな、山河の堅固さは。これぞ魏国の宝じゃ」
と、得意げにいった。
「国の守りは、君主の徳にかかっているのであって、険阻な地形にあるのではございません」
呉起は、そういって文侯を諭した。
そうではないか。
古昔の三苗氏の国は、洞庭湖を左に、彭蠡湖(潘陽湖)を右にしながら徳義を修めず、禹に滅ぼされた。
夏の桀王の都は、河水(黄河)と済水を左に、泰山と華山を右にし、南に伊闕の要害、北に羊腸坂があった。
しかし、仁政をおこなわなかったため、湯王に放伐された。
殷(商)の紂王の国都は、孟門山を左に、太行山を右にし、北に恒山、南に河水があった。
だが、徳政をおこなわなかったため、周の武王に殺された。
呉起は、これらの史実を列挙し、
「もし君が徳を修めなければ、舟中にいる人をみな敵にまわすことになりましょう」
と、文侯を諫めた。
武侯は神妙になり、
「あいわかった」
と、返すしかなかった。

相 器

ときに、田文(孟嘗君とは別人)が魏の宰相であった。
――われがあんなやつに劣るとでもいうのか。
おのれの才を誇る呉起は、この人事がおもしろくなかった。
そこで、田文をつかまえて、
「あなたと功を論じたいんじゃが」
と、もちかけた。
「いいですよ」
田文がそう応じると、呉起はさっそく、
「三軍の将となって士卒をいのちがけで戦わせ、敵国の謀略を防ぐという点において、
あなたはわれにまさっていようか」
と、訊いた。
「およばない」
田文は、そう正直に応えた。
「百官を治め、万民を親しませ、国庫を充実させる点において、あなたはわれにまさっていようか」
呉起は、さらに田文に問いを浴びせた。
「およばない」
田文の反応に、呉起は気をよくして、
「西河を守って秦の東進を抑止し、韓や趙を服従させている点において、
あなたはわれにまさっていようか」
と、問いをつづけた。
「およばない」
呉起は、満足気に大きくうなずき、
「三つともあなたはわれにおよばない。それなのに、あなたがわれより上位にいるのはなにゆえか」
と、たたみかけた。すると、田文が、
「君主がまだ少くて国内が動揺し、大臣たちが和合せず、人民はお上を信じていない。
そんなとき、あなたかわれ、どちらにまかせましょうや」
と、呉起に問いかけきてた。
呉起は返答に窮してしまい、黙って腕を組み、天上をみつめ、しばらく考えこんだあげく、
――この男には、及ばない。
と、悟り、腕組みを解いて田文のほうをむき、
「やはり、あなたでしょう」
と、気まずそうに返した。
田文は口もとをゆるませながら、
「これが、われがあなたより上位にいるゆえんです」
と、いった。

詭 謀

田文の死後、魏の公主を娶っていた公叔が魏の宰相になった。
公叔というからには公族なのであろうが、かれがどの国の公族なのかはわからない。
ともかくも、この人事は、
――田文の後任は、われしかおらぬ。
と、おもいこんでいた呉起の矜持を、いたく傷つけた。
しかも、呉起は公叔と折り合いが悪かった。
そんなおりに、呉起は武侯に召しだされ、
「公主を娶らないか」
と、もちかけれた。
呉起は内心喜んだものの、即答はしなかった。
帰ると、公叔から酒宴の誘いを受けた。
――珍しいこともあるもんじゃ。
日ごろであれば言下に断るところであろうが、
呉起はこのとき機嫌がよかったせいか誘いを受け、公叔の邸を訪れた。
宴席で公叔が妻の公主に、
「これ、客人をもてなしいたせ」
と、命じると、公主がたちまち鬼のような形相をみせ、
「なにをえらそうに。たれのおかげで宰相になれたとおもうておるんじゃ」
と、公叔をさんざんに罵り、たたきまくった。
これには、呉起も、
――公主を娶れば、いつも見下されてしまうのか。
と、閉口するしかなかった。
それは、矜り高いかれには堪えられない光景であった。
翌日、呉起は参内し、
「縁談は、なかったことにしていただけますでしょうか」
と、武侯に申しでた。
それから、呉起は遠ざけられるようになった。
――このままでは、罪に抵てられるのではないか。
呉起はそう懼れ、魏を去った。

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