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中国史人物伝

管鮑の交わり 斉の桓公に信頼され、管仲を達した賢人 鮑叔牙(春秋 斉)(2) 元勲

鮑叔牙(1)はこちら>>

斉の襄公が横死し、混乱を避けて隣国に亡命していたふたりの弟

糾と小白のあいだで相続争いがはじまった。

これは、ふたりの傅(守り役)である管仲と鮑叔牙の知恵比べでもあった。

斉の首都臨淄へは、糾のいる魯より、小白のいる莒のほうが近い。

しかし、魯の援護を受ける糾に対し、小白は無援である。

はたして、先に臨淄にはいり、君主になるのは、糾か、それとも小白か。

中国史人物伝シリーズ

目次

管仲の過失

小白は、兵車に乗っているところを射られた。
射られた瞬間、小白は車から転がり墜ちた。
「管子、やりましたな」
この声をきいて、小白は、
――管夷吾か……。
と、矢を放ったのが管仲であることを知った。
「管夷吾は、公子の死を確かめたのですか」
「いや、われが死んだとおもうて去っていったわ」
小白は、そういって哄笑した。
管仲が放った矢は、たしかに小白に中った。
「じゃが、中ったのは、ここよ」
小白がそういいながら指さしたのは、鉤(帯金、バックル)であった。
「公子――」
鮑叔牙は、破顔した。みごとな機転である。
これで管仲ばかりか糺までも、小白が死んだとおもいこんだであろう。
――管子、ぬかったな。
事件が起きれば、現場を確認する必要がある。
この点、管仲は詰めが甘かったといわざるを得ない。
「ここからは、温車にお乗りあそばされませ」
鮑叔牙は、そう小白に進言した。温車とは、死体搬送車のことである。
管仲がふたたびあらわれないともかぎらない。
それゆえ、慎重に慎重を期して、臨淄に着くまで小白の死を装うことにしたのである。
一行は小白を乗せたを温車まもりつつ、夜を日についで斉への途を急いだ。
そのかいあってか、小白は臨淄に先着した。紀元前六八五年夏のことである。

葬 礼

小白は臨淄にはいると、ただちに高氏と国氏に擁立され、国君に即位した。
これが、桓公である。
「糺をどうするか」
桓公が群臣にそう諮いかけると、
「お待ちくだされ。その前になすべきことがございます」
と、鮑叔牙が声をあげた。
「なんじゃ」
と、けわしい顔をむけてきた桓公に、
「まず、先君の葬礼をおこなうべきです」
と、鮑叔牙が進言すると、
「おおっ」
と、桓公はうなった。
内乱が続き、襄公の葬儀は延期されていた。
それを挙行するのが、礼であろう。
しかも、喪主として先君を送った者が、後継の君主なのである。
「よくぞ申してくれた」
七月丁酉、桓公は襄公の葬儀を挙行した。
その後、桓公は糺を送りこみにきた魯軍を迎撃するため、兵を出した。

乾時の戦い

魯軍が、濛々と砂塵をあげながら、斉に迫ろうとしていた。
鮑叔牙は魯軍にでくわしたとき、
「まちくたびれたぞ」
と、おもわずもらしてしまった。
ここにくるまで、かれらは小白が死んだとおもいこんでいたのであろう。
――わが君の賢明さよ。
そう感心した鮑叔牙は、この戦いで負ける気がしなかった。
戦場になったのは、乾時という地である。
かつてこの地に時水の支流が流れていたが、いつしか涸渇してそうよばれるようになったらしい。
「新君の初陣を、みごとに飾ろうぞ」
鮑叔牙は、そう呼ばわってから兵車を進ませた。
八月庚申、両軍は戈矛をまじえた。
斉軍は終始魯軍を圧倒し、大勝した。
魯の荘公にいたっては、兵車を失い、駅伝の馬車に乗り換えて何とか逃げ帰れたほどであった。

管仲を得る

鮑叔牙は、桓公に復命した。
「大儀であった。ところで、寡人(諸侯の自称)は、なんじを宰相にしようとおもうんじゃが」
という桓公の提案に、鮑叔牙は頭を横にふった。
「臣は君の庸臣です。君が臣をお恵みくださり、飢えたり凍えたりしないようにしていただければ、
それで十分です。国家を治められるのは、管夷吾しかおりません。臣は、管夷吾には及びません」
管夷吾の名をきいて、桓公は眉宇をひそめ、
「あやつめは、寡人を射て鉤に中てやがった。あのときは、死んだかとおもうたぞ」
と、抗弁した。
「あれは主君のためにしたことです。君が管夷吾を宥して帰国させるなら、君のためにはたらきましょう」
鮑叔牙がそういって諭すと、桓公は怒りを斂め、
「どうすればよい」
と、諮うた。
「臣を魯に使いさせてください」
鮑叔牙は、桓公の聴許を得て魯を訪れ、
「糺は肉親ですから、殺すに忍びません。どうか貴国でお討ちくだされ。
管仲は讎です。こちらで引き受けてぞんぶんに処分させてください」
と、要求した。なかば脅迫である。
これに対し、魯は要求通り糺を殺し、管仲を捕縛して鮑叔牙に引き渡してきた。

元 勲

鮑叔牙は管仲を連行して、斉の領内にはいると、
「もう、よかろう」
と、剣を抜き、管仲の縄を解いた。
「鮑子――」
「管子よ、われはなんじを君に推挙する所存じゃ」
鮑叔牙は、管仲を連れて臨淄にもどると、
「君が斉だけをお治めになられるご所存でしたら、高傒や臣で十分です。
しかし、諸侯に号令をなさるご所存でしたら、管夷吾でなければなりません。
夷吾は、高傒よりも治政にすぐれてございます」
と、桓公に管仲を推挙した。
「よかろう」
桓公は管仲を招き、政治の要諦について諮問した。
その応えに桓公は満足し、管仲を宰相に抜擢した。
鮑叔牙はみずから管仲の下位についてその政治を助け、
恩着せがましいことなど一切せず、恬淡としていた。
桓公は、管仲が功を立てれば、かならずまず、
「斉国に管子を得させたのは、鮑叔じゃ」
と、鮑叔牙を賞したという(『呂氏春秋』賛能篇)。
管仲の輔佐を受けた桓公は、諸侯を盟下におさめて覇者となり、周王にかわって天下を収攬した。
天下の人びとは、管仲の賢明さよりも、鮑叔牙がよく人を知ることができたことを称めた。
鮑叔牙の子孫は代々斉の禄を受け、十代以上にわたって封邑を保有し、名声があったという。

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