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中国史人物伝

勇猛な小心者 項羽と劉邦を恐れさせた刑余の王 英布(黥布)(楚漢)(3) 新時代

英布(黥布)(1)はこちら>>
英布(黥布)(2)はこちら>>

英布は、漢からの説客である随何に説得され、楚にそむき、漢につくことを決めた。

項羽の片腕ともいうべき存在であった英布が、項羽を見限って漢につけば、

勢力の低下以上に、精神的な打撃を、項羽に与えることになろう。

しかし、英布は、旗幟を鮮明にすることをためらった。

楚から離れたい。その一方で、楚に攻められたくない。

項羽をよくわかっているだけに、英布の胸のうちは揺蕩した。

中国史人物伝シリーズ

目次

訣 別

随何が英布を説いていたまさにそのとき、楚の使者が六にきていた。
「ただちに兵をだしなされ」
英布が、楚の使者からそうきびしく責められていた。そこに、
「九江王は、すでに漢に帰順なされた。どうして楚が援軍を出してもらえようか」
という声があがった。
英布ばかりか、楚の使者までもが、声の主のほうをむいた。
たれあろう、随何であった。
――なっ、なんてことを。
英布は、愕然として息を吞んだ。
「もう、どうなっても知りませんぞ――」
楚の使者が、席を起った。
すかさず、随何が、
「もはや、事は決しました。こうなれば、楚の使者を殺して帰させず、疾く漢に走るべきです」
と、いい、英布をうながした。
剛勇で鳴らす英布であるが、随何の剣幕に押され、
「それしかあるまい」
と、応じ、剣をふるった。
その刹那、楚の使者の首と胴が離れた。
それは、同時に英布が項羽と訣別した瞬間でもあった。

激 闘

紀元前二〇四年冬、英布は兵を挙げて楚を攻めた。ほどなく、
「楚軍が攻めてきます」
という注進があった。
「将は、たれか」
「項声と龍且です」
「そうか」
項羽がみずから攻めてこないと知って、英布はほっと胸をなでおろした。
楚への愛着などはもうないが、旧主である項羽と干戈を交えるのは、やはり気が進まない。
楚の猛将である龍且の攻撃は、苛烈であった。
兵力で劣るものの、英布は楚の大軍相手に数か月ものあいだ必死に戦った。
しかし、しだいに押され、ついに敗れてしまった。
「もはや、これまでか」
「ここまでよく戦われました。さあ、漢へまいりましょう。
漢王はきっとあたたかく大王をお迎えなさるでしょう」
「よしっ、間道を通ってゆこう」
英布は項羽の襲撃を恐れ、随何とともに微行して滎陽へむかった。そこに劉邦の陣があった。

饗 応

十二月、英布は劉邦の陣に至った。
英布が劉邦に謁見を願い出ると、すぐに本陣に通された。
――さすがは漢王、手際がよい。
という英布の好感触は、劉邦をみて一瞬で打ち砕かれた。
なんと、劉邦は牀(腰かけ)に足を投げだして坐り、侍女に足を洗わせたまま英布を引見したのである。
――なんと、無礼な。
英布はひどく怒るとともに、
――くるんじゃなかった。
と、悔やみ、剣を首に当てた。
(ここで劉邦に対する殺意がわかないのはおもしろい。当時の武人の気質なのか、それとも英布の性格なのか)
「はやまってはなりませぬ」
随何が、あわてて止めにはいった。
「おのれ、騙しおったな。放せっ、わしにはもうこうするしかないんじゃ」
「まあまあ、お気を鎮められまして、宿舎へまいりましょう」
随何は英布をなだめ、あてがわれた宿舎へいざなった。
「こっ、これは――」
英布は、おもわず目を瞠った。
帷帳をはじめ、衣服や調度品、さらに飲食物や従者まで、どれもが漢王の陣中にあったものと同様であった。
――漢王は、ここまでわれのことを――。
英布には単純なところがあるようで、さきほどまで怒っていたことも忘れ、
予想を超えたもてなしにすっかり気をよくした。

怨 恨

国もとを去ってからというもの、英布の懸念は、六に置いてきた家族の安否にあった。
「九江のようすをみてまいれ」
英布は漢軍の陣に落ち着くと、家臣にそう命じた。
数か月後、その家臣は九江から旧知の者や寵臣たちと数千人の兵を引きつれてもどり、
「国じゅうの兵を、楚に奪われてしまいました」
と、英布に復命した。
「家族のすがたが、みあたらないが……」
「もっ、申しわけございません」
その家臣が涙を流しながら語るには、英布の妻子はみな殺しにされていた、という。
「こっ、項羽め」
英布は、怒りで満身をふるわせた。
これで、英布は生命をかけて項羽を倒そうとする漢になった。
「気の毒な目に遭うたのう」
劉邦は英布に同情して兵を分け与え、ともに北へむかい、兵を徴発しながら成皋に至った。

淮南王

紀元前二〇三年七月、英布は淮南王に任じられ、九江に加え、廬江・衡山・予章の三郡も与えられた。
天下にある三十六郡のうち四郡の統治を任されたわけであるから、相当な厚遇である。
それだけでも、楚にそむき漢についたかいがあったといえよう。
――漢王は、気前がよい。
と、気をよくした英布は、
「項羽がいるかぎり、その地位は安泰じゃないぞ」
と、劉邦から釘をさされ、項羽討伐に従軍するよう命じられた。
いくさ上手な英布でさえ、劉邦の采配に、
――この男には、かなわない。
と、強く感じた。英布の目には、劉邦の将器がそれくらい大きく映った。

楚の滅亡

「淮南でお味方になりそうな者たちを説いて、楚の勢力を削ぎたく存じます」
英布は劉邦にそう申し出て許可を得ると、人を九江に遣り、数県を得た。
さらに、紀元前二〇二年十一月、英布は劉賈とともに九江にはいり、
「もう天下の帰趨はわかるであろう。このまま項王に従ったままだと、どうなっても知らんぞ。
楚にそむき、漢につけ。悪いようにはせん」
と、楚の大司馬である周殷を誘引した。
「わかり申した」
周殷は楚に叛き、舒の兵を率いて六を攻め陥とすと、九江の兵をこぞって英布を迎えいれてくれた。
「よくやってくれた」
英布は周殷をねぎらい、ともに軍を進めて城父県を攻め陥とし、漢軍に加わった。
英布は韓信の指揮のもと、楚軍と戦い、十二月に、諸将とともに項羽を垓下で包囲した。
――あのとき、随何の言を聴かないで楚についたままであったなら、いまごろあそこで絶望していたじゃろう。
そうおもうと、背すじが寒くなった。
項羽は包囲網を脱出できたものの、楚軍は大敗し、項羽は自害して果てた。

新時代

項羽が死に、漢が天下を平定した。
韓信や英布ら諸侯は集まって、
「陛下がわれらと同格の王では、具合が悪い」
「尊号を奉ろうではないか」
などと話しあった。
その結果、紀元前二〇二年正月に、諸侯は劉邦を皇帝に推戴した。
かれらは秦を滅ぼして新時代を切り開くことに成功したが、
天下の統治者の称号については、始皇帝が制定した皇帝を踏襲した。
以後、皇帝は天下の統治者の称号として二十世紀まで用いられつづけた。
その年の冬に、劉邦から、
「陳で会同をおこなう」
という通達があった。
陳は、六から遠くない。
「ゆかずばなるまい」
英布は、何の警戒もせずに旅装をととのえた。
この会同にとんでもない陰謀が張りめぐらされていようとは、たれが予想できたであろうか。

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