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中国史人物伝

流転の才媛 蔡文姫(漢魏)(2) 望郷と慈愛

蔡文姫(1) はこちら >>

蔡文姫は儒者として名高い蔡邕の女として生まれ、

博学で弁舌にすぐれ、音律にも精通しており、

幼若期からその才の一端を垣間みせていた。

かの女は、若くして寡婦となり、父をも喪った後、

献帝が長安から逃れ出た混乱に紛れ、匈奴に拉致された。

左賢王(皇太子)豹の妾にされたかの女は、頼れる身寄りもない上に、

郷里から何千里も彼方にある朔北で、身を切るほどの寒さや暮らしになじめずにいた。

中国史人物伝シリーズ

目次

生きる力

匈奴の風俗は、漢とは違っていた。
匈奴人は農耕をせずに狩猟や牧畜を生業とし、野草を求め、野草が尽きれば移動する。
かれらは穹廬で暮らし、冬になると低地に、夏になると高地に移動した。
かれらは子供や老人を卑しみ、強者を尊ぶ。
戦いのない日などないといってよく、烽火が消えることはない。
集落じゅうに殺気がみなぎり、軍鼓が朝まで鳴り響く。
夫の豹は戦地に赴くことが多く、蔡文姫とともに過ごす時間は寡ない。
たまにかの女のところに来ても、媾合うだけで、終わればすぐに去ってしまう。
――わたしは、それだけの存在か。
そうおもうと、おのれの運命を呪うしかない。
穹廬から出て、遠方を見はるかした。
あたり一面の原野にのろしの見張り台が連なり、牛や羊の群れが広がっている。
長城がうっすらとみえる。
そのむこうに、故郷がある。
だが、帰る道はあまりにも遠く険しい。
故郷とは遠く隔たり、世間との交際も絶えた。
――もう故郷の土を踏むことはかなわぬのか。
一日たりとも、故郷を想わない日などない。
故郷を想っては、悲嘆に暮れた。
泣こうにも声なく息がつかえる。
――こんなところで死にたくない。
そうおもう蔡文姫にとって、
――故郷に帰る。
というおもいが、生きる駆動力となった。
ふと空をみあげると、雁の群れが南へむかっている。
「雁よ、わたしのことを故郷に伝えてたもれ」
蔡文姫は声を振り絞り、そう叫んだ。

よりどころ

遅遅とではあるが、時が流れた。
蔡文姫は、豹の子を二人産んだ。
わが子とはいえ、漢人が蔑んだ胡(匈奴)人である 。
それでも、かの女は愛情をこめて二人の子を育てた。
匈奴への憎しみよりも、わが子への愛おしさが上回ったからである。
かの女は匈奴での暮らしにおいて、はじめて生きがいを感じることができた。
それでも、望郷の念を棄てることはなかった。
「漢から客が来たぞ」
そう聞くと、蔡文姫の心がいつも弾んだ。
左賢王の夫人であるかの女は、客人と会話をすることが許された。
漢と匈奴の使者の遣り取りは、頻繁ではない。
「蔡伯喈(蔡邕のあざな)の女です」
蔡文姫がそう名告ると、漢人はいちように、
――蔡伯喈の女が、なにゆえこんなところに。
とでもいいたげな表情を浮かべつつも、打ち解けたような感じで話をしてくれる。
これこそ、父の遺徳というものであろう。
客人に、故国の情況をたずねてみた。
「主上(献帝)は、曹操さまを頼って許へ遷られました」
「ああ」
蔡文姫は、おもわず両手で顔を覆った。
献帝が無事であったことを知り、安堵したのである。
――曹操さまは、たしか陳留で義兵を挙げられた、と聞いたことがある。
かの女が曹操について知っていることといえば、それくらいである。
まさかその曹操がおのれの命運に大きくかかわろうとは、聡明なかの女でも予想さえできなかった。

衡 量

蔡文姫が匈奴にきてから、十二年が経っていた。
「漢から客が来たぞ」
という報せが集落じゅうに広まった。
蔡文姫がいつものように客人から故郷の様子を聞きだそうと心を弾ませていたところ、
「左賢王がお呼びです」
と、いわれ、豹のところへむかった。
「漢へ帰るがよい」
いきなり発せられた豹のことばに、蔡文姫はおのれの耳を疑い、呆然と立ちつくし、
「ああ」
と、発しただけで、喜びを発露しなかった。
積年の願いがかなったのである。跳びあがって喜びたいくらいうれしかった。
だが、子どもたちのことが脳裡をよぎった。そこに、
「じゃが、子どもは置いていってもらう」
という豹の発言が、かの女の昂奮に冷や水を浴びせた。
非情な仕打ちである。だが、むりもない。
左賢王の子は、やがて匈奴の単于(君主)の有力な候補になろう。
――どうにかして子どもたちを連れて漢に帰りたい。
しかし、わが子を漢に連れていけば、まわりから卑しみ蔑まれるであろう。
それを想えば、豹のことばに従うのが、子どもたちにとって最善であろう。
そう納得し、蔡文姫は首を縦にふった。
それからというもの、蔡文姫はようやく郷里に帰れるという喜びと
――ここを去れば、二度と子どもたちに会うことはないであろう。
という悲しみにこもごも襲われた。
残される子どもたちのことをおもえば、去るのが耐えられない。
あんなに寒く辛かった胡地から離れることができるのに――。
出立の日が近づくと、訣れに当惑する辛さが募るばかりであった。

永訣の時

漢の使者が、蔡文姫を迎えにきた。
蔡文姫は、二人の子を抱き寄せた。
子どもたちが蔡文姫の頸を抱きながら、
「母上はどこへゆくの」
「母上は出かけたらもう帰ってこない、ってみんないってるよ」
と、口ぐちにいうのを耳にすると、かの女は胸が締めつけられるおもいがした。
「いつも優しかったのに、どうして優しくしてくれないの」
「ねえ、考え直してくれないの」
かの女は恍惚として狂乱し、わが子の手を撫でこすって号泣した。
衣が、涙で濡れた。
だが、望郷の念が、子への愛情をうわまわった。
蔡文姫は意を決して立ち上がると、子どもたちに背を向け、馬車にむけて歩を進めた。
子どもたちから一歩遠ざかるごとに、足取りは重くなっていく。
「母上――」
子どもたちは声をあげて泣き叫んだ。しかし、蔡文姫は振り返らなかった。
馬車が出ると、ともに捕虜として連れてこられた女人たちが見送りに来てくれていて、
「あなただけ帰れるだなんて、おうらやましい」
と、悲しんで声が割れ裂けんばかりであった。
その悲痛な声で馬は驚いて立ちあがり、車が回らず前進できなかった。
見送りにきた人たちはみなすすり泣き、往来する人もみな嗚咽した。
蔡文姫はその場から去って慕情を絶ち、馬車を急がせた。
馬車は、長城を越えた。
ふり返ると、故郷の山がきた道を塞いだ。
――三千里も離れたが、またいつか会えるであろうか。
子どもたちを想うと、胸の奥が張り裂けそうになる。
故郷に戻ることができて喜びあふれる一方、愁いはますます深まってゆく。
故郷を離れた時より、匈奴を去る時のほうがおもいが深まった。
ため息をつくのをやめようとすれば、涙が滂沱と流れてしまうのであった。

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