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中国史人物伝

不屈の忠臣 蘇武(前漢)(1) 匈奴王 衛律の勧説

中国史で、忠臣はたれか?

そう問われたら、たれの名を挙げるであろうか。

『三国志』なら、諸葛亮孔明や関羽らであろうか。

中国で絶大な人気を誇る岳飛の名も挙がるであろう。

異民族に最期まで屈しなかった、という点では、

南宋末にフビライの勧誘を拒み、刑場の露と消えた文天祥もそうであろう。

かれが獄中で作ったといわれる「正気の歌」は、幕末の志士たちに影響を与えたらしく、

吉田松陰、藤田東湖、広瀬武夫が同名の詩を作っている。

その他、歴史上有名な人物だけでも枚挙にいとまがないであろう。

また、忠義とは何なのか、そして忠義の対象が何かによって忠臣の定義が変わり得よう。

それでも、何千年にも及ぶ中国史において、忠臣は数多あらわれた。

漢の武帝の時期に限ってみても、忠臣は少なくない。

その中の一人に、シルクロードを開いた張騫が挙げられよう。

かれは、建元二年(紀元前一三九年)ごろ、武帝の命を受け、

大月氏国と匈奴を挟撃する同盟を結ぶべく、西域へむかった。

途中、匈奴に捕えられ、十年以上拘留されたが、初志を枉げずに脱出し、

元朔三年(紀元前一二六年)に漢の都・長安に戻った。

大月氏国と同盟できなかったものの、張騫は大宛など西域の事情を漢にもたらした。

苦難に遭っても決してあきらめず、忍耐をつづけた末に任務を全うしようとした点において、

張騫は忠臣であるといえよう。

武帝の時期、同様の観点から忠臣といえる人物がいた。

蘇武(あざなは子卿)(?-紀元前60)

である。

張騫ほど知られていないが、かれの行蔵には胸を打たれるものがある。

中国史人物伝シリーズ

目次

匈奴への使い

蘇武は杜陵の出身で、大将軍衛青に従って匈奴征伐に功を立てた蘇建の次子である。
蘇武は、父の保任により、若くして郎(近侍の臣)となった。
保任とは、父の官職により子弟が官に就くことである。
天漢元年(紀元前一〇〇年)、且鞮侯単于は、漢の侵攻を恐れ、
「漢の天子は、われにとって父のようなものだ」
と、いい、拘留していた漢の使者をすべて解放し、帰還させた。
武帝は喜び、拘留していた匈奴の使者を返還することに決め、匈奴への使者を募った。
これに応じたのが、蘇武であった。
かれはこのとき四十余歳。
――今を措いて恩に報いんときがあろうか。
と、意気揚々であった。
随行員を募集すると、常恵ら百余名がそれに応じた。
蘇武は中郎将に任じられ、節を授かり、副使の張勝や常恵らとともに匈奴へゆき、単于に贈り物を遺った。
応対した単于の態度が驕慢であったことに、蘇武は一抹の不安をおぼえた。

自 刃

そのころ、漢の降将の虞常が匈奴の緱王と共謀し、単于の母を強奪して漢に復帰しようと企てた。
「漢のために、衛律を射殺します」
虞常はひそかに副使の張勝に会い、そう打ち明けた。
衛律はもと虞常の上司で、匈奴に降服して丁霊王に立てられ、重用されていた。
張勝はこれを承諾し、必要なものを与えた。
虞常らが決起しようとすると、仲間のひとりが夜半逃亡して単于に密告した。
そのため、事は露見し、緱王は戦死し、虞常は生け捕られた。
「張勝と共謀して謀叛した」
虞常がそう供述すると、単于は怒り、漢の使者を殺そうとした。ところが、
「殺すより、かれらをみな降伏させるのがよい」
と、重臣に諫められた。そこで、単于は衛律に蘇武を帰服させるよう命じた。
蘇武は、衛律から降伏を強要されると、
「臣節を屈し、使命を辱めるならば、生きていても何の面目あって漢に帰れよう」
と、左右にいい、佩刀を引きよせみずから刺した。
衛律は驚き、家臣に医者を呼びに行かせると、みずから必死に蘇武の手当てをした。
その甲斐あって、蘇武は息を吹きかえした。
単于は蘇武の気節を立派だと称め、朝夕に見舞いの使いを出す一方、張勝を逮捕し、収容した。

勧 説

蘇武が治癒すると、単于は衛律に蘇武を説得するよう命じた。
衛律は虞常の処刑に蘇武を立ち会わせると、虞常を斬った剣を張勝の頭上に振りあげ、
「漢の使者が単于の近臣(衛律)を謀殺することは、死罪に当たる。
それなのに、単于が降伏させようとするのは、罪を赦すということじゃ」
と、いって、撃とうとしたので、張勝は降伏を願い出た。次いで、衛律は、
「副使に罪があるなら、正使のあなたにも罪が及ぶはず」
と、蘇武にいった。
「われは共謀しておらん。それにかれの身内でもないのに、なにゆえ連坐などと申されるか」
蘇武がそう返すと、衛律はふたたび剣を振りあげて蘇武を撃つふりをした。
しかし、蘇武は身じろぎひとつしなかった。
「蘇君よ、われはかつて漢にそむき匈奴に身を寄せたが、幸いにも大恩を被り、王号を賜り、数万もの兵を擁し、馬畜は山に満ちるほど富貴になり申した。蘇君もいま降れば、このようになりましょう。むなしく身をなげうって草野を肥やしても、たれがそれを知ってくれましょうや」
衛律がそう口説いたが、蘇武はひと言もことばを発しない。
「あなたがわれをたよって降るなら、兄弟になりましょう。いまわれにたよらずに、後日またわれに会おうとされても、それが叶いましょうや」
と、なおも勧説をやめようとしない衛律にたいし、蘇武は、
「人の臣子として恩義を顧みず、主や親に背き、蛮夷に降り捕虜になったやつに会いたいなんておもうものか。単于はなんじを信じ、人の生死を決めさせているのに、正義を守ろうとせず、かえって両主を闘わせ、禍をみようとしている。南越も大宛も朝鮮も漢の使者を殺したせいで誅滅された。なんじはわれが降伏しないことを存じておりながら、両国を相攻めさせようとしている。匈奴の禍は、われからはじまろう」
と、罵倒した。
――脅しても、むだか。
そう悟った衛律は、
「だめです。蘇武を帰服させることはできません」
と、単于に報告するしかなかった。

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